東映アニメフェアの思い出

いち早く

映画『ドラゴンボール』のパンフレットをスキャンしていたら、懐かしい記憶がよみがえってきた。思いつくままに書き留めてみたい。
家にあった一番古いパンフは、1990年春の「東映アニメまつり」。ウィキペディアを見ると、「アニメフェア」になる前の1回だけ、この呼称だったそうだ。自分にとっては、小学校入学直前。劇場でじっと見ていられたのだろうか……。
以後、『ドラゴンボール』がラインナップからはずれるまで見続けることになる。私の周りでは、いち早く「アニメフェア」にいくのが自慢のタネだった。といっても、内容を語り合うわけではない。見た事実それ自体を伝えるだけだ。しょうもない子どもだよなあ。

初日

「いち早く」の思いは、当時の子どもたちに共通だったのか、初日の人手はすさまじかった。あるときは始発バスで藤沢の映画館*1へいったが、それでも3-4番目だった。前の子に聞いたら、2時台から並んでると言っていた。大人ならわかるが、小学生だよ……。その後、客は続々と押し寄せ、初回上映は立見も含めていっぱい。2回目になる客もたくさんいた。
そしてグッズ売場がこれまた大混雑。映画が始まるまでに買い終わらないのだ。上映が半分終わってから戻ってきた子もいた。あとで入替制と知ってぶうたれていた。
うちの場合は後日、母に買いにいってもらったこともある。ガラガラの平日に……。ちなみに、『ドラゴンボール』のコミックスを買い始めたのは母なので、映画もそれなりに楽しんだのではないかと思う。
並びの話に戻るが、母と私たち兄弟が開場を待つ間、友だち3人が通りかかったことがある。母は私の友だちにお菓子をあげた。あとで理由を聞くと、「さすがに来た時間が違いすぎて、入れてあげられないから……」と言っていた。

グッズ

たいていパンフレットとパウチ(下敷き)を買った。あとはポスター。パンフとパウチは私と弟それぞれに買ってくれた。いま思うと、すごくありがたい。ひとつだと絶対に取り合いだもんな。
私もプレゼントとかする機会があったら、「ふたりでひとつ」はやめようと思った。

衝撃

「アニメフェア」は『ドラゴンボール』を含めた2本立てないし3本立てのラインナップ。たとえば『ダイの大冒険』とか『スラムダンク』とか……。
ところが、1995年の春は衝撃だった。少女漫画誌『りぼん』でやっていた『マーマレード・ボーイ』が併映だったのだ。
男でもお姉ちゃんがいる人はアニメを見ていたようだが、私にとってはこっぱずかしかった。なんでこんなものを見せられなきゃいけないのかと。
翌1996年春、『ご近所物語』のときもまったく同じことを感じた。

暇つぶしのお供

この96年春が「アニメフェア」では最後の『ドラゴンボール』だった。やはり上映待ちで印象に残っていることがある。前にいた子たちが、ゲームボーイで『ポケットモンスター』をやっていたのだ。
私はタイトルを聞いたことがある程度だった。2人して同じソフトということは流行っているということで、「ゲームボーイRPGってあんまりないもんな」と思ったのを覚えている。
ウィキペディアによると、ポケモン赤・緑の発売は96年2月。つまり出て約1ヵ月だったようだ。その後の大ヒットは言うまでもない。

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96年4月、中学校入学。きりがいいことに、小学校生活同様「アニメフェア」とのつきあいも終わった。

*1:場所は今メディアカフェポパイがあるところの地下だった気がする。