角幡唯介著『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社、2010/11)

タイトルを見れば、著者自身を中心に据えた挑戦が描かれることはわかる。だが読み進めると違和感が生じてくる。その原因は本書の構成にあった。著者と対談している高野秀行の言葉を借りよう。
「自分の行動を書く部分と、先人の足跡を取材して書く部分の二つを重ねているよね」(『青春と読書』12月号)
ノンフィクションとは自分を書くか、あるいは他人を取材するかだろうという先入観を打ち破って、両方が存在しているのだ。
角幡自身はこういう見方をしている。「ある人のことを書いていても、ある意味、自分を書いているというか、自分を投影している部分がありますよね」(同上)
私は本書をたいへん面白く読んだ。それでも長く本棚に置いておきたいという気持ちにはならなかった。理由は角幡もうっすら認識しているようだが、自分のことしか書いてないからだ。300ページ弱あるなかで、外に目を向けたと思える部分はふたつしかなかった。ひとつは滝に地元固有の呼び名があるのに気づく部分(p.170-171)。もうひとつは、携帯電話の普及がもらたらした変化をつづった箇所(p.228-229)。それだけなのだ。
本書がすぐれた筆力や語学力、行動力のもたらした稀有な作品であることは疑いない。ただ開高健の名前を冠した賞の受賞作であるならば、読者に何らかの影響を与えるものてもあってほしかった。