単なる雑記

きのうは、明治学院大学にいった。トークの趣旨は、東京に育ったふたりには微妙な違いがあり、それが記憶にどういう影響をもたらすのか、ということだった。違いとはつまり、住んでいる(住んだ)エリアであり、年齢の差である。
しかし残念なことに、目新しい発見をできなかった。ただひとつ感じたのは、ふたりには道路目線の有無があるということ。坪内の書く文章には靖国通りや白山通りといった名称が出てくるが、原武史にはそれがない。彼にとっての東京中心部は、山手線のリングのなかを中央線が貫き、さらに地下鉄駅が点在している、というものなのだろう。
その鉄道中心思考は別に年齢差や土地の違いではなく、鉄道に関心をもって(もたされて)育ったがためで、話の趣旨とは何もつながらない。