メモ

みんなに好かれる人

友だちは多くないほうだ。「あいつは俺の友だちだ」などと、自信を持っていえるような人は、私にはいない。だからこそ考える。友とは何だろうかと。
いま就職活動をしていることもあり、折に触れて励ましのメールをくれる心のやさしい人がいる。でも、友だちだと感じたことはない。少し年齢が離れているからだろうか。
友とは何だろう。その答えはわからないし、わからなければいけないとも思わない。でも、
「友だちって呼んでもいいですか?」
そんなふうに尋ねてみたい人がいる。桐蔭学園に通っていたころの知人だ。waseda weeklyに記事が出ていたので、昔を懐かしみながら読んだ。
http://www.waseda.jp/student/weekly/contents/2006a/088c.html
高校時代、ほかのクラスの人と話す機会というのは、あまりなかった。それは、桐蔭の雰囲気のためでもあるだろうし、私の性質が原因でもあると思う。でも、その桐蔭にあって彼だけは例外で、ひとりでしょぼんとしているときなど、本当によく話しかけてくれた(成績別に授業を受けるから、同じクラスの人がほかにいないという状況ができるのだ、桐蔭では)。彼がいなければ、桐蔭での生活は、もっともっと息苦しいものだっただろう。
そんな正確だから、当然のこと、みんなに愛される。僻まれるようなこともない。それほどに好感を抱かせる人間なのだ、彼は。
これまで桐蔭のことをさんざん悪く書いてきた。でも、その一方でどこかいいところを見つけてあげたいという気持ちもある。それは、彼のような素晴らしい人が、少ないながらも存在していたからなのかもしれない。
彼は現役で入学したから、私より1年早く社会に出た。素晴らしい人生の門出に、乾杯。

4月19日付日本経済新聞夕刊

今週の「こころの玉手箱」は与謝野馨。きょうがその第3回なのだが、実によくできた名文だ。まとめたのが記者なのか、それともライターなのかはわからないけど、とても優秀な方なのだろう。