「桐蔭学園の真実」最終回

女性の姿を欠いた青春

前回まで、5回にわたり、桐蔭のあれこれ、とりわけ外部の人に知られていないことを書いてきた。けれども、それらはすべて前置きに過ぎない。
私が桐蔭を勧めないもっとも大きな理由は、女性なき日常である。
桐蔭に入る多くの人が、世間の悪評にもかかわらず、進学への強い意欲から、志望するんだと思う。
でも、大学なんて、いつだっていける。それに引きかえ、青春時代の大切な日々は、一度きり。取り返しがつかない。
桐蔭では、その貴重な青春を、女性の姿なしで過ごすことを余儀なくされる。高校3年間を終えて初めてわかったことだが、このことはとても大きな損失だ。
「女の子がいなかったら、青春は成り立たないの?部活をがんばるのだって、青春では?」という疑問を唱える人がいるならば、私は「確かにそれも青春の一面。だけど、女子マネージャーがいれば、なおいっそう盛り上がるんじゃないか」と答える。
「なら、桐蔭にかぎらず、男子校や女子校は、すべてだめってこと?」
そんなことはいっていない。普通、男子校ならば、女性にめぐまれない環境ゆえに、近くの女子校と深いつながりがあったりする。
しかし、桐蔭にはそういったものは、いっさいない。だいたい、通ってきているところがばらばらだし。柿生の駅では、鶴川高校(女子校)の生徒といっしょになることがよくあるが、お互い敬遠しあう。いや、敬遠する、というほどでもないけど、近づいていくことはない*1
「女の子になんか興味ない」
いままで女の子のことを好きになったことが、一度としてない、というぐらい興味がないなら、桐蔭でも大丈夫かもしれない。だけど、女性のことが気になるけれど、勉強の方が大事、というような生半可な気持ちだと、あとで絶対に後悔するから。まあ、失敗したと思っても、桐蔭に入ってすぐなら、変更がきく。1年の前期おわったぐらいに、桐蔭やめて川和高校編入していった人がいた。
「女がいたって、どうせ自分はもてないから」
こういう考えだと、さらにもてなくなる。人生は高校で終わりじゃないはず。もてようが、もてまいが、女がいる環境に身を置くというだけで、大きな意味があると思う。
というわけで、桐蔭に入りたい受験生は、いま一度、異性と隔離される境遇を受け入れる用意があるのかどうか、自分に問うてみてほしい。

懲役10年のスーフリ副代表、小林潤一郎

桐蔭学園33期生(普通科)。女性のいない日々を過ごしたのが原因なのか、はたまた、人数が多ければなかにはこんなやつもいる、というふうに考えるべきか。
話は多少それるけど、在学中に問題を起こすやつもいる。先生から聞かされただけでも、放火で退学になった人と、バスカードを盗んで退学になったのがいた。喫煙については、見つかっても即退学とはなっていないよう。
トラブルじゃなくて、息詰まって、学校にこれなくなる人もいるし、自主的にやめていく人もいる。学校は退学者数を明らかにしていないが、普通科のクラス(桐蔭は1クラス50人程度で、よそより多い)なら、卒業までに、1人か2人ぐらいは、何らかの理由でやめていく、という感じだろうか。
書きたいことは尽きないけど、内容に締まりがなくなってきたので、このへんでおしまいにしたい。

*1:両者はこんな思いで相手を見ている。桐蔭男→鶴川女:渋谷が似合うような、派手な女の子ばっかり。駅の階段に座り込んだりして、品がない。鶴川女→桐蔭男:ガリ勉。おぼっちゃま。こういった構図。たぶん。話がそれるけど、柿生には何にもない。コンビニ、ちっこい本屋にミスドぐらい。カラオケがあるけど、もちろん禁止。テストが終わった後には、校外指導と称して、教員が張り込んでいる。遊ぶのは、上り方面なら新百合ヶ丘、下りなら町田か。柿生には何にもないから、ほかの駅から通ってきている人より、進学率がいいのではないだろうか、なんて思ってみたが、データ大好きの桐蔭でも、駅別の進学率という数字はないようだ。