中原昌也著『名もなき孤児たちの墓』(新潮社)

中原さんのことは尊敬するほどなのだが、著作を読むのは初。
彼のことをちゃんと知ったのは、昨年2月におこなわれたモブさんとのトークイベント(id:amanomurakumo:20050226)のとき。何に対して好感を抱いたか。
まず、著名人にしては飾り立てない服装で登場したこと。そして、自らの口から語られる荒んだ生き様だ。押し迫った締め切りを前にして、仕方なく文章を連ねる。こういう人でも、どうにか生きていけるのだなあと、少し安心もした。
ここまでだったら、中原さんは数いる好きな作家の一人にしかならなかったと思う。何が私に彼を尊敬させるのかというと、誕生日が同じということだ。イベント後、家に帰り、サインをもらった雑誌の連載を見て、そのことに気づいた。
前置きはこのぐらいにして、本について。最初から最後まで、たっぷりと笑わせてもらった。まず、最初の一編の冒頭の一文。あまりのおかしさに吹き出してしまう。

政府機関の調べでは、今や一家に一台あって当たり前と云っても過言ではないパソコン(パーソナルコンピューターの略)だが、どれだけの人々がその機能をきちんと把握し、家庭における諸問題の解決などに有効利用しているのだろうか?

どこが面白いのかと疑問に思うかもしれないが、カッコ内である。わざわざ「パーソナルコンピューターの略」なんて書くあたりに、無理して字数を増やすための努力がにじむ。
字数稼ぎの工夫はほかにも見られる。たとえば、pp.200-1にまたがる「新潟地方の高架橋やトンネルの鉄筋コンクリートの(中略)要望が高まっていたその矢先の事件であった」という15行。ニュース番組か、あるいは新聞なんかを参考にしたとしか思えない。
だからといって、中原さんの作品は手抜きで、まったく読むべきものがない、なんてことにはならない。
中原さんにしか書けないもの。いろいろあるんだろうけど、私は唐突なストーリー展開をあげたい。いきなり人が死んだり、あるいは誰かを殺したりする。ほかの作家が同じストーリーを書いたら、「なんだこのいいかげんな流れは」と没にされてしまうことだろう。そういう意味で「中原さんにしか書けない」
そして、最後に強調しておきたいのは、改行が少ないことだ。ページによっては1回もしていなかったりする。だから何なのか。
上で書いたが、一方では字数稼ぎのために、さしたる必要もない説明をする。そういう考え方からすれば、ぱっぱと改行して、枚数を増やせばいいと思うのだが、中原さんはそれをしない。ここに中原さんの低姿勢、謙虚さを見るのである。
作家である必然性もなければ、文章も読む意味がない。だからこそ、たっぷりと文字を詰め込んで、せめて退屈な時間をつぶしてもらいたい。中原さんは、そんな思いで小説を書いているのではないだろうか。