鈴木敦秋著『明香ちゃんの心臓 <検証>東京女子医大病院事件』(講談社、2007/4)

事故はそこから教訓を得て活かさなければまったくの無駄である。そしてどんな事故も私たちひとりひとりと無関係ではない。この本は、そういったことを鮮烈に伝えてくれる。

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明香ちゃんは、死亡率1%以下とされる手術で死亡してしまう。裏にはミスとその隠蔽工作があった。もしごく普通の遺族だったら、この件は迷宮入りしていたかもしれない。しかし、社会にとって幸福なのは、明香ちゃんの父親もまた医者という立場だったことだ。であればこそ、ミスが不可避であることも知っている。彼は娘をどうしてくれたんだという思いを抑え、徹底的な調査と、患者に対して閉鎖的な病院組織の改革を求めていく。

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以上が本書の筋。著者の取材の丹念さ、筆力によって、とても読ませる1冊になっている。だが、私にはひとつ不満が残った。書き手がほとんど文中に顔を出さないのだ。
そういったスタンスがしばしばノンフィクションで採用されることは知っている。だが、それを貫き通すことは適切だったのだろうか。著者は読売新聞記者である。そのことを頭に入れて、以下の利明(明香ちゃんの父親)の主張を読んでもらいたい(p.205より引用)。
「あれほど[医療に携わる人たちが見て、最善の解決策を考える契機にしてほしいという]趣旨を説明したにもかかわらず、一二月二九日に読売新聞が一面と社会面に、毎日新聞が社会面に載せた記事は、東京女子医大病院の医療事故と隠蔽を前面に押し出した内容だった」([]内は引用者注)
「読売の記事は一部で利明の思いを伝えているが、全体の印象を変えるものではない」
メディアは利明の趣旨を伝えてくれなかったわけだ。もちろん、メディアは必ずしも被害者の望みどおりに報じる必要はないだろう。だが、被害者が報道不信を示しているのに、当の記者がそれについて何も述べない。安全圏へ逃げているようにも感じるが、きっと本書には書かれていない部分で色々な葛藤があったのだろうと、好意的に推測したい。
以上のように、ひとつだけ不満はあるものの、それによって本書全体の印象が変わることはない。賞を受けるのに十分値する作品である。

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昨年7月発表の「第29回講談社ノンフィクション賞」受賞作。2作受賞でもう1作のほうは馬鹿売れしているようだが、こちらは一昨日購入した時点で初版。

森下くるみ「硫化水銀」(『小説現代』2月号)

「10分間で読める超短編官能小説特集」(全10編)のひとつ。彼女のことは何も知らないのだが、AV女優が官能小説を書くというのはどんなもんだろうと読んでみた。
それで読後感なのだが、AV女優という以前にまず女性の書いたものなんだなというのを、強く意識させられた。官能の世界にどっぷり浸からず、さわやかというか。
あと、やまだないとの絵と相性がいい。もし今後も書くなら、この女同士のタッグでやってほしく思う。
プロフィールには、昨年刊行された『すべては「裸になる」から始まって』(英知出版)が今春、講談社文庫からリイシューの予定、とあった。検索してみると、同書は版元の事業停止により絶版となっているようだ。オークションなどではいくらかプレミアムがついている模様。