映画『FAKE』

佐村河内がペテン師だと信じて疑わない私にとって、ストレスのたまる作品だった。それが一番の印象。
理由としては、もっと違う見方があってもいいのではと考えさせる構成だからだ。違う見方とはつまり、彼の耳が本当に聞こえていない可能性である。
ゴーストの話はさておき、聴覚のことを整理しておきたい。
彼は2000年代に障害者手帳(2級)を取得。その後、一連の騒動のなかで「聴力は3年ぐらいまえから回復していた」と主張。
つづいて横浜市の再検査がおこなわれた。音が聞こえたらボタンを押す(≒不正が可能な)形式ではなく、脳波を見るものだ。
結果、彼は50dB程度の聴覚障害とされた。それは障害者手帳のラインには達しない程度だった……。以上があらまし。
本作で、彼は検査結果の報道に不満を呈する。要約すれば、聴覚障害が大事なのに、手帳に至らなかったことしか伝えてくれないと。
私は報道がおかしいとは思わなかった。そもそも何のための再検査だったかという話である。
作中もっとも違和感をおぼえたのが聞こえ方の説明。騒動の渦中では、音がゆがんだように聞こえるといっていた。本作でなされた説明とかつてのそれは、ニュアンスの違いで片付けられるだろうか。
私は彼と同じく聴覚障害である。生活でときにつらさはあるものの、手帳には至らないレベルだ。それだけに不正に取得した彼に憤りを感じる(聴力が回復したなどというミラクルはもちろん信じない)。
だから作中での森達也に対しては、「もっとクリティカルなことを聞けよ」という気持ちで見ていた。たとえば「耳が聞こえるようになったときはどうだった?」とか。
もちろん森はそんなことをしない。ペテン師だったと早々に露見しても、何も得がないからだ。映画にするだけの素材は集めておく必要がある。
こんなところでストレスがたまった。
しかしながら、語りたいポイントがさまざまあるのはたしか。見て損をしたとまでは思っていない。

      • -

重松清は「豊穣なグレイゾーン」という文章(全2ページ)をパンフレットに寄せている。『日経ビジネス』で提灯記事を書くに至る経緯がつづられている。コンサート会場で本人を紹介された、以後メールで何度かやりとりしていたと。私としては、そもそもコンサート会場に足を運んだ理由から知りたかった。

      • -

シネマ・ジャック&ベティ(ベティ)にて。

映画化

『幼な子われらに生まれ』が来年公開予定とのこと。
http://eiga.com/news/20160609/1/