神山典士+『週刊文春』取材班著『徹底取材総集編 週刊文春が報じた「佐村河内守事件」』(Kindle版、2014/3)

第1弾から第6弾の記事を収録した電子書籍。うち5個は読んでいたものの図書館。やはり有用な報道には金を落とすべきだと思い購入。特に再読して書くことはない。
いま発売中の『週刊文春』には第7弾が掲載。内容は「みずいろのまち」編曲者の告白になっている。私がひどいと感じたのはレコード会社の対応。曲の楽譜は日本コロムビアを通じて本宮市に送られたそうだ。そして楽譜には編曲者の名前もある。つまりコロムビアとしたら、新垣が「私の作品ではない」と明言した時点で、編曲者に接触できたのではないか。
おそらく進んで事実を解明する気などなかったのだろう。

野口剛夫「『全聾の天才作曲家』佐村河内守は本物か――新潮45 eBooklet」(Kindle版、2013/12)

新潮45』2013年11月号初出。「すべてはこの記事で察知されていた」という感じ。たとえば「HIROSHIMA」の後づけなど、裏の情報なしで迫れていたことがすごい。
また、特に共感するのが「人生体験と音楽作品の直接の因果関係は証明できないし、それが自然で健全なことである、と私は思っている」という部分。
音楽にある傾向が存在するとしよう。障害の影響だとなぜ断言できるのか。他の可能性はどうして排除するのか。私はそのとおりだと思った。であれば、野口がいうように音楽はそれ自体を評価しなければいけない。
クラシックの門外漢・重松清は「運命をまっすぐに受け止めることで、氏の音楽はここまで美しく、気高くなっていった」と佐村河内を評した。音楽のモノサシを持たないゆえに、人生体験へフォーカスしてしまった。おそらく反省が必要なのは重松だけではないだろう。