まとまりのない感想

ニコ生で佐村河内守の記者会見を見る。トータル2時間半以上。どうでもいいが、ニコ生は来場者殺到でも追い出されないときがある。今回もだが、そういう設定なのだろうか。
しばらく出かけた後、「ミヤネ屋」の録画をチェック。テレビ欄に「神山氏の追及は必見」とあったが、それはあくまでも会見の模様で、番組向けの特別な何かはなかった。一ヶ月前、ゴーストライターが会見した際は、神山がミヤネ屋で事前に対応していた。今回もその類かなと思って、肩透かしをくらった感じ。
それで会見のほうだが、佐村河内が「全聾だったものの、聞き取れることがあるまでに回復した」というマジカルなことを主張している時点で、真実を語るのは期待していなかった。
今回、彼は「耳が聞こえるのは妻も知らなかった」と『週刊文春』の記事を否定した。私からすれば、「回復」したならばうれしくて妻に報告するのが普通だと思うのだが……。
そして違和感を覚えたのがふるまい。私も彼と同じく50dB程度の聴力である。彼は話し声について「何かいってるのはわかるが、音がゆがみ、言葉として認識できない」といった発言をしていた。
仮に信じるとしよう。たとえフレーズとして認識できなくても、マイク音声は聞こえているのである。そこのふるまいにぎこちなさを感じた。音に対する反応はあるべきなのに、つい最近までの「全聾だと装わなければいけない」彼(すなわち音に反応しないふりをする彼)が混じりこんでいたように見えた。
あとツイッターをながめると、神山の追及の仕方が失礼だという意見を一定の割合で見かけた。どうやら経緯を知らずにツイートしているようだ。神山からすれば、佐村河内は自分の書いた記事を否定しにかかっているわけである。その反論で熱くならない人間がどこにいるだろうか。
この件とも関係してくるが、「『週刊文春』が記者会見で指名されなかったのは、佐村河内が避けたからではないか」という見方を「ミヤネ屋」の出演者が示していた。これについては、神山が指名されているし、考えすぎではないかと思ったがどうだろう。
最後、スタジオに来ていた耳鼻咽喉科(?)の先生に対し、宮根が「診断結果は難聴ではないということなんですよね?」と問いかけていた。先生が訂正したとおり、正しくは「身体障害者には当たらないが、難聴なのは間違いない」である。
上記のとおり、私も佐村河内と同程度の聴力である。この宮根の問いかけを聞いて、一般人に自分の境遇をわかってもらうのは大変だと思った。ましてやペテン師がとんでもないことしてくれたからな……。