秋山ミスエ著『わが人生のホームラン 打って、走って、守った子育て記録30年』(KKロングセラーズ、1991/12)

秋山幸二の母親による本。自身の生き方、幸二を中心とした子育てについて綴っている。
どんな境遇に母親が、そしてまた幸二がいたかというところの記述も、すごく読み応えがあるのだが、ここでは野球に関係するエピソードをひいてみる。

秋山家には長男がいたのだが、7歳にして日射病で死んでしまう*1(幸二の生まれるまえ)。そのことから、母親は健康の重要さを痛感。毎朝3キロの道のりを走らせたという。そうしないと、ご飯を食べさせないといって。(p.43)

毎日そんなに走ってたら、そりゃあスポーツ優秀な子になるだろうね。

あるとき母親は、少年野球チームができるという噂を聞きつけた。入会資格は4年生以上で、幸二はまだ3年生。しかし、母親はあきらめない。練習できなくてもいいから、マネージャーの形で入らせてほしいと頼み込む。そして母親は、独断で入会手続きを済ませた。(p.51)

ここが野球人生の始まり。もちろん、幸二は4年になって、試合へと参加するようになる。
それにしても、母親がやらせてなかったら、幸二のその後の人生はどうなっていたのだろう。別の道で輝いていたか、はたまた……。

母親の支えもあって、幸二は名前のとおり幸せな野球人生を歩む。そしてライオンズ入団。春野キャンプ。
母親は、キャンプ地近くの国民宿舎に1週間滞在。練習に励む幸二を見つめた。
宿代やら往復交通費でいっぱいいっぱいなため、練習場までのいきかえり(片道7キロ)は徒歩。いつも歩いている母親を見かねて、監督が車に乗せてくれたことも。(p.162-166)

当時は根本監督。いい人だ。
と、こんな感じで濃い話が満載。全体としては、いまは懐かしい昭和の空気が感じられるなあという印象。
なお、秋山幸二本人には『卒業』という本がある。こちらも機会があれば読んでみようと思う。
最後に誤植(?)をひとつ。
「もし、あの時父が反対しなければ、私の運命はわかっていたのではと思うのです」(p.180)
「かわっていた」の間違いかな。

*1:のちに長女も17歳で亡くなる。白血病だった。(p.68)