まず「思考」ありき
私事だが、中学のとき初めて手にした英語の教科書には、こんな文章が出ていた。
I have a book.
(私は本を持っています)
I have a nice book.
(私は素敵な本を持っています)
中学英語、とくに1年2年あたりは、まず重要単語や文法を文章に出すのが目的で、ストーリーはあってないようなものになっていたりする。
それは、この本にも似たようなことがいえるのではないだろうか。一応、主人公の高志が家で猫とじゃれたり、横浜ベイスターズの応援に出かけたりといった日々が描かれはする。しかし、そういった日常風景がメインディッシュになっていないのは、誰の目にも明らかだろう。
では、この本の味わいはどこにあるのか。それは、折にふれて描かれる高志の「思考」にある。
「思考」というのは、辞書的な意味だと、「考えること」(大辞林)となってしまうようだが、私は文字通りの意味で捉えてみたい。つまり、「思い」「考える」である。
「思い」はたとえば、「思いつき」という言葉があるように、「ちょっとした」とか、「ふとした」といったニュアンスを持つ。それで「考える」のほうはというと、こちらは時間をかけてじっくりとという感じがする。
高志がしているのは、まさに「思考」ではないか。彼がする発想は一見、突拍子もないことなのだが、それを納得させるための説明、理論づけがしっかりとなされているのだ。
だから、私は高志の「思考」に対して、「こいつは、おかしなことをいうなあ」と引きつけられ、その後「ふむふむ」とうなずかされたのである。
野球シーンについての雑感
作中で描かれているのは2000年シーズン。つまり、ロバート・ローズの横浜での最終年であり、権藤が監督だった最終年である。
また自分の話をするが、私は西武ファンで、そうなったのは黄金時代中期(1990年前後)だ。別に誰かひいきの選手がいたのではなく、森の采配が知的で好みだったというのが大きい。そんな私ゆえ、森が権藤のあと、横浜の監督になったときは、ベイスターズにもがんばってほしいなという気持ちだった。
しかし、結局、森の率いるベイスターズは、2シーズン目に最下位へと低迷。そしてシーズン途中、ベイスターズファンの心に大きな怒りを残し、森はチームを去る。森を評価する私としては、まるで自分がぼろくそいわれているかのような気分だった。
しかし、繰り返すが、ここで描かれているのは権藤最終年なのである。まだ森がそれほど悪くいわれていないのである。
「権藤は今シーズンいっぱいでおしまい。後任は森で本決まりだってさ」
(中略)
「いいじゃないか」と私は前川にいった。
「でも大洋ファンは森を嫌ってるぜ」
「権藤じゃなくなってくれれば、森でも誰でもいいよ、おれは」(p.272)
自分が大好きな人間が叩かれていないことに、小説ながらも私はほっとしたのだった。