オレステス・デストラーデ、大城和美共著『デストラーデ 西武野球の神話』(講談社、1995/7)
引退の約1ヵ月後に刊行された本。帯の推薦文は桑田真澄。「オーレのバッティング同様、ダイナミックで陽気、そして意外性がいっぱい詰まった一冊だ」
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興味深いエピソードばかりだが、なかでも目を引くのは日本球界へ復帰する前年の日本シリーズのこと。第2戦の後、オーレは在籍時の4年で一度も会うことがなかった堤オーナーに挨拶をする。そして第3戦がおこなわれる際、いっしょに食事をすることに。その席で、オーレ夫人がきょう誕生日なのだと告げると、後で特大の花束が贈られてきた。もちろん堤オーナーからだった(p.21-24)。いい話だなあ。
少し気になったのは、森監督に対するスタンス。オーレ自身は彼に理解を示しているのだが、他方でバークレオなど批判をこぼす選手もいたと記す。森監督の評価は、立場によってがらりと変わるものなのかもしれない。
渡辺久信については、こんなことを書いている。「彼のロッカーは僕が今まで見てきた中で、もっとも汚いロッカーだと言っても過言ではない」(p.55-56)。いまはどうなんだろうな。
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主な内容は以下の通り。
序章「最後のカムバック」:FA移籍した工藤との対戦、東尾監督、富山で登板した本当の理由。
第1章「再び栄光をつかむために」:ライオンズに復帰する経緯、堤オーナーとの会見、所沢に住む大変さ。
第2章「素晴らしきニッポン野球」:交流をもった選手たちについて。秋山、清原、石毛、桑田、ディアス*1など。
第3章「キューバ人の誇りを胸に」:キューバに生まれ、アメリカに移住。その後、ヤンキースに指名されたもののチャンスはなく、日本にきてV3を達成するまでの話。
第4章「フロリダ・マーリンズ」:メジャーの新球団でプレーするきっかけ、そこで受けた重圧と2年目の解雇について。
第5章「『日本野球』と『アメリカン・ベースボール』」:球場の好き嫌い、DH選手の過ごし方、森監督、ライオンズの強さの理由。
中川充四郎著『西武ライオンズ この強くて愉快な野郎たち』(シンコーミュージック、1983/4)
文化放送ライオンズレポーターとなって、1年が経ったころの著作*2。本書は、いまjushiro.comで書いているdiaryのような感じで、各選手についてわりと満遍なく、知られざるエピソードを記している。以下、気になったところをいくつか。
まず、今シーズン前の人工芝リニューアルでなくなってしまったが、レオの顔について。「これは、いわばグランド内の『聖域』といってもいいほどで、ライオンズ・ナインはもちろん、相手チームの選手も、よほどのことがない限り、避けて通る」(p.23)。そういえばグラウンドウォークのとき、枠で囲われてたなあ。
もうひとつ。天気がいい日に、選手が目の下につける黒いものについて。充四郎さんは「僕も一枚もらって貼ってみたことがあるが、付け方が悪かったのか、異物感が気になり、目の下がツッパッてしょうがなかった」(p.16)そう。こういう話を聞くと、自分も試してみたくなる。
最後に誤植をふたつ。
「八木沢コーチ、昭和十九年十二月一日生まれ、高橋直樹投手、昭和十二年二月十五日生まれ。こうしてみると、同学年であるはずなのに(以下略)」(p.89):後者が昭和二十年の間違い。
「石毛選手、昔髪は今でも大学時代からの生きつけの(以下略)」(p.155):せきはつ(昔髪)→せいはつ(整髪)のことか。