坪内祐三「編集・ジャーナリズム論」第7講(6/1)

プリント2枚配布(教科書のコピーではない)。ひとつは小川菊松著『日本出版会のあゆみ』(誠文堂新光社)のpp.44-45(博文館の成立やその出版物などについて)。もうひとつは一八九五年(明治28年)の文化について書かれた年表+『文芸倶楽部』『帝国文学』などについての記述からなる(これは出所をいってなかった)。
最初に明治20年、28年と大橋佐平、新太郎、大橋乙羽と板書。先週とは違い、右から左へと時が流れる。

博文館のすごさ
日清戦争さなかの明治28年(先週の繰り返し)
井原西鶴再発見、淡島寒月
帝国文庫
博文館日記
・図書館
いまのNDLのもとになった建物が上野にあったけど、たいした蔵書量じゃなかった。そんな状況下に、大橋図書館ができる。
・通信社
外国のニュースを翻訳し、日本の新聞社に売る。
『太平洋』
大橋乙羽の印刷への関心、光村利藻

時間が中途半端になったけど、おしまい。教科書はpp.26-27、pp.32-33と年表のところをちょっとだけ見た。
雑談的に、コピーを取ったら出典を明記することの大切さ(編集者に限らず)を説いた。あと雑誌の発行日について。いまだって、5月10日に6月号が出たりするけど、むかしも同じ。年末には翌年の号が出てしまう。昭和元年生まれっていう人は珍しいけど、(実際には存在しない)大正16年1月号という雑誌は、ままある。
いつも思うのだが、彼の板書の字はちょこちょことしていてかわいい。生原稿を読める編集者は幸せ者だよなと思う。
余談だけど、5月19日の読売新聞夕刊に『「別れる理由」が気になって』(講談社)についてのインタビューあり。