近藤雄生著『吃音 伝えられないもどかしさ』(新潮社、2019/1)

かつて吃音に苦しんだ著者が、多くの人に話を聞く。悩んでいる当事者や周囲、さらには治療に携わる人たちへ……。

内容としては著者もあとがきで書いているけど、改善を目指す動きに分量が割いてある。つまり与えられたものとして受け入れるのではなく、どうにか治療していこうと。

私の吃音にかんする知識は重松清の話や小説から得たものが大半だと思う。あとは本書もそうだけど、吃音にかんする作品で何冊か彼が推薦文を書いている。そういうものを読んで、ある程度は把握しているつもりでいた。

でも、まだ知らなかったことが多いなと本書に触れて思う。このテーマについての世界が広がった。

具体的に学んだことをあげると、成長するにつれて悪くなるパターンの存在。これとは逆に、幼少期に悩んでたけど自然となくなったみたいな話をよく聞くので、ひどくなる場合もあるというのが自分には新鮮だった。

吃音は様々なシーンで影響を及ぼす。本書はプライベートよりも仕事の話に重点をおいている。そこで出てくるのが、精神なり身体の障害者として生きるかどうかの問題。障害者枠を使えば仕事は見つかりやすいだろう。ただ、枠を利用するのは治ること・治すことをあきらめるようでもある。悩ましい問題だ。こういう二次的に生じる厄介が意外ときついんだろうな……。

著者は吃音というテーマの選択について、あとがきで書いている。「悩んでいる人が多いのにもかかわらず実情はあまり知られていない。かつ社会の理解を必要とするという意味で、書かれるべきテーマであることに疑いを持たなかった」
書かれるべきだったし、読まれるべきだし、研究も今後さらに進んでほしいなと思った。
2019年3月30日2刷。