樫崎茜著、瀧井朝世解説『ボクシング・デイ』(講談社文庫、2010/12)

「き」と「ち」がうまくいえない小学校4年生の女の子、栞(しおり)。「ことばの教室」に通っている。
……と書くと、吃音を思い浮かべる人もいるだろうか。しかしそうではない。
吃音は精神面のことだが、栞が抱えているのは技術的な問題だ。私も「ことばの教室」にいっていたが、円形をした薄いウエハースのようなものがある。作中ではせんべいと呼ばれるそれを口に入れ、舌のあたり具合を確認しながら発音の練習をする。
障害というほどではない。しいていえば「苦手なもの」か。栞はそういうところをもっているのだが、本書はさほどフォーカスしない。
学校生活でさまざまなことが起こる。たとえば校庭の木が伐採されるという騒動がある。そんな日々のなかを、栞は「ことばの教室」の佐山先生や友だちと生きる。そして心を豊かにしていく。
著者がうまいのは、上でも触れたが発音のことを大問題として書かないところ。そうはせずに、日常の1コマにのぞかせる。たとえば栞と話していた知り合いが笑った。発音がうまくいかず馬鹿にされたのかと心配するが、まったく関係なく、ほっとするシーンがある(p.114-115)。
あるいは、実際に笑われた帰り道、気持ちを立て直せなかったという場面もある(p.55-57)。
本書はこういった内面の描写、つまり小説の面白さでもあると思うが、それを存分に味わえる1冊だった。

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瀧井の解説は正直いってひどい。
「本作のほかにも『ヨルの神さま』、『満月のさじかげん』と、若い人の迷いや痛みを丁寧にすくいとった作品を上梓しています」
本当にこの2冊を読んでいるのか。そのうえで「若い人の迷い……すくいとった」とだけしか感じられないのか。著者すら気づいていない共通点を読み取るとか、そういう気概を見せてほしい。
もちろん読んでないというのは論外。それなら他の作品の紹介をしてはいけない。
それから講談社の本にしては珍しい誤植を発見。
「小松先生は黒板を通り越すて、」(p.116)
もうひとつ。会話文のかっこ終わりには「。」をつけていないのに、1箇所だけその方針に従っていないところがある(p.206)。私には意図のないミスに思える。