岩淵弘樹著、高橋源一郎解説『遭難フリーター』(幻冬舎文庫、2010/12)

借金を抱えて仙台から埼玉県本庄市へ。キヤノンの工場で派遣労働者として働いた著者の記録。親本は2009年、太田出版刊。
読み始めて、そういえば雨宮処凛の『生きさせろ!』で紹介されていたのを思い出す。そこに書かれていたのは工場に流れ着くあたりが主なので、本書には入っていきやすかった(ちなみに雨宮さんとは一緒にイランへ行っていて、それが借金の理由のひとつ)。
読了して、いくつかのことを思った。まず労働現場・生活の場の面白さ。私も何回か本庄へいったことがあるが、今度はもっと人を観察して労働者の姿を感じたい。
それと、労働における著者の心情。これには考えさせられた。岩淵は仕事ができるほうらしく、同じセクションに使えない人がやってきては、見下すような態度をとる。それを自覚して、嫌になったりもする。
仕事ができない人を責める感情はなぜ生じるのだろう。自分の残業が増えるからか。そういう場合もあるが、著者はむしろ残業したがっている。
では、周囲から「仕事ができる人だ」と評価されたいのか。そういう心の向きを否定はしないが、別に給料がアップするわけでもないし、私としては、いたたまれなくなりやめた人のことを思わずにはいられない。
あるいは、作業を教えてもうまくやってくれなくて徒労感を覚えるのだろうか。労働の場で、精神がどういう状態にあるかはきわめて重要なことだから、負の感情をぶつけてしまうのはある意味必然なのかもしれない。しかし、そうして必然的にやめていく人間が出るのはやむをえないのかと疑問に思う。

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……そんなこんなで考えるところの多い作品だったが、本の完成度はもうひとつだ。
盆休みで減収になる恐怖から、著者は工場勤務に加えてフルキャストもやりだす。その切迫感をもっと書いてほしかった。借金の支払い状況うんぬんとか。そうでないと、疲れてるのにさらなる苦労をしたいようにしか見えない。
そのフルキャストは、主に都内の現場。本庄から遠路はるばる出かけていくわけだ。もちろん金だってかかる。
ある時期、現場までの交通費がないためにキセルでしのぐケースが続く。下はそのなかのある文章。現場から帰るシーンだ。

本庄駅に着き、新宿駅で買った一番安い切符を駅員に出し、差額分の電車賃を持っていないことを告げる。すると「支払い猶予書」を渡され、住所と名前と生年月日と勤務先と電話番号を書かされる。(p.168)

なぜキセルの連続でやってきたのに、ここではごまかそうと考えなかったのか。それはおそらく、本庄のような(都内と比べて)小規模な駅だと、(改札の数・乗客の数ともに少なく)キセルができないからだと考えられるのだが、そういう説明が必要なところを書かずに済ませてる。だからもうひとつだなと思った。