マーティ・キーナート著『愛すべき助っ人たち best "Gaikokujin" players-then & now』(ベースボール・マガジン社、1998/7)

外国人選手のみで、リーグ別のオールタイムベストナインを選出。各選手だいたい10ページ前後を割いて、かつての姿、現在の状況を伝える。

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むかし、近鉄にマニエルという選手がいたのをご存知だろうか。デッドボールを当てられ、あごを負傷。復帰の際には、特製ヘルメットを着用した。このくだりはタブチくんで描かれたので、私も知っているのだが、本書によればそのヘルメット、著者が「アメリカの友達に頼んで作ってもらった」ものだそうである。
この本にはそういうエピソードが満載だ。単にああいう選手がいたなあというものではない。交流経験豊富な著者だからこそ書ける1冊である。

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以下、面白いところをいくつか引いておく。
まず、新庄がメジャーでプレーしたがっていると聞いたバースの発言。

足と守備は問題なくても、現在のバッティング状態では可能性はゼロ。彼みたいなタイプは、マイナーリーグからメジャーに昇格できない典型的なパターン。何かひとつ足りない。
(p.53)

この後、新庄はメジャーで3年もプレーした。バースは見る目がなかったか。

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次は、クロマティが日本で指導者になりたいという発言を聞いた著者のコメント。

コーチはともかく、監督は絶対に無理。クロマティに監督を任せるのは、ビジネスパートナーとして一緒にやるのと同じくらいの危険性がある。成功する確率は限りなくゼロに近い。たぶん、監督を要請するチームはないとは思うが。
(p.119-120)

のちに独立リーグサムライ・ベアーズ」で監督となったクロマティ。『月給12万のヒーロー』という本によれば、選手たちはまったく定まらないクロマティの気性に苦しんだようである。

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最後に、ダリル・スペンサーのユーモアあふれる発言。1965年は、南海の野村が三冠王を獲得するシーズンだが、当初、ホームランではスペンサーが優位な状態にあった。しかし終盤、スペンサーは敬遠攻めにあう。そのときのことを、こう振り返る。

多彩な変化球の持ち主でコントロールも抜群のリーグを代表するピッチャーが、迷うことなく敬遠してきたわけだからね。小山にプライドはないのかと思ったよ。それに対して、野村とは必ず勝負したのも腹が立つ。しかも、かなりの確率で打たれていた。2人は親友なんじゃないかと疑ったよ(笑)
(p.210)

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最後に、本書で取り上げられた選手を列挙しておく。
ジーン・バッキー、エイドリアン・ギャレット、ランディ・バースロバート・ローズトーマス・オマリージョン・シピン与那嶺要ウォーレン・クロマティチャーリー・マニエルジョー・スタンカレオン・リーブーマー・ウェルズボビー・マルカーノスティーブ・オンティベロスダリル・スペンサーレロン・リー、ラルフ・ブライアント、ジョージ・アルトマンオレステス・デストラーデ

秋山幸二著『卒業』(西日本新聞社、2003/7)

現役を退いた翌年に出た本。引退にいたる経緯、生い立ちからプロ入り、西武時代、ダイエー移籍以後と、満遍なく書かれている。
生い立ちの項は、母親の本と重なる部分も多いが、そのなかで未見なのがこれ。
秋山家の風呂は、よそがガスに変わりつつあるなか、薪で沸かすタイプだったそう。親を手伝い、オノで薪割りをするうちに「わたしのリストは人並み以上に鍛えられていったのかもしれない」と綴っている(p.59-60)。
プロ入り当時の話で面白かったのが、キャンプに持っていったバットが底を尽きたときのエピソード。薄給でバットを何本も買うのは苦しい。そこで彼が考えたのは、マスコットバットを使うことだった。「ウエートトレーニングじゃ鍛えられないパワーというか筋力が、そこで養われたと思う」と書いている(p.91)。
このころでは、野球留学経験にもページを割いてあるのが貴重か。ほかにも、幸二という名前の由来(p.36)、バック宙を中川充四郎さんに持ちかけられたこと(p.115-119)などを面白く読んだ。
スタメンに名をつらねるようになった後のストーリーは、特に目新しいものはない。ただそれでも、秋山本人がどう感じたかを知ることができるのは、本書ならではだろう。

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平成15年7月17日第2刷発行。第1刷の発行日と同日に増刷している。こんなこともあるのか。
ちなみにアマゾンのマーケットプレイスで購入。500円なのにサイン本(落款あり)。刊行当時、サイン会が開かれたのだろうか。