とある問題教師の記憶

イントロダクション

Kは私が小3のときの担任だった。後々、新聞に載るような問題を起こすのだが、私とかかわりのあった1年間に限っては、何事もなく終わる。
しかし、本当に何もなかったのだろうか。いま考えてみると、様々なエピソードがあったことに気づく。それらを記憶にとどめるため、ここに記すことにした。
まず、Kの外見的な部分について書いておく。性別は男で、背がかなり高かった。そして眼鏡をかけていて、年齢は40代半ばぐらいだろうか。気難しそうな顔をしていた。

Kが起こした事件

Kは私たちを教えた後、6年生の担任を1年やって、それで他校へ転任した。新聞で報じられたのは転任後。問題は、6年生を教えていたころのものだった。
生徒に対して、画びょうの刺さった上履きを履けと命じたのだという。この先ははっきりとしないが、確か女子生徒で、実際に履いて怪我をしたように記憶する。
報道以前にも、Kは親のネットワークで問題になっていたようで、私も母親に「3年のときのK先生っていたでしょ。何かなかった?」と何度も聞かれた。
でも、子どもの頭では「別に」と答えるしかなかった。

短気?

まず、Kが担任になった当初、こんなエピソードがあったことを思い出す。あるとき、私は教室の窓枠に腰掛けていた。
「何やってんだ。そんなところに座るな」Kはいった。
外にはベランダがあるから危険ではないし、だいたい私だけがそうしていたわけではない。
「いままで、座っちゃだめなんていわれなかった」私は反論する。
「俺がだめっていったらだめなんだよ」Kは子ども相手にむきになるのだった。どうしてだめなのか説明できないのも、教員として問題かもしれない。

宇宙人

「先生にはすごい秘密があります」あるときKは切り出した。
「実は……、宇宙からきたんです。このことは、他のクラスの人にはいっちゃだめだよ」教室内は笑いと、本当かを確かめる声で騒然となった。
こんなことをいって、いったい何がしたかったのだろう。いまもって、まったくの謎である。

「学級会」

また、こんなことも思い出す。3年になり、時間割にいままでなかった「学級会」というコマができた。一般的にはクラスの問題だとか、学校行事について話し合うものだろう。しかし、Kの「学級会」は違った。
時間がくると、まず教室で多数決を取らせる。何を決めるかというと、これから何をして遊ぶかである。男子サッカー、女子なわとびなどと決定すると、生徒は校庭に飛び出す。そのときKはというと、付き添わないのである。教室に残ったままなのである。
私たちが遊び終えて校庭から戻ると、彼はいつも文庫本を読んでいた。一度だけ本のタイトルを見たが、サスペンスだったと思う。栄区図書館のシールが貼られていた。
他のクラスにはそんな遊びの時間はなかった。厳格な先生がいるクラスの生徒からは、うらやまれたものだ。
4年になり、クラス替えはなかったが担任は変わった。そうして最初の学級会のこと。
「学級会って遊びじゃないの?」誰かがいった。私たちにとって、これはふざけた質問ではない。
「違うよ。学級会っていうのは、話し合いをするもんなんだよ」新担任は、あきれた表情でいった。

プリントに授業をしてもらう

では授業のほうはどうだったのだろう。実はあまり覚えていない。小3でやる科目というと、国語・算数・理科・社会・体育・音楽・図工・道徳あたりか。
とりあえず、音楽と理科は学年全体で別の先生が教えていた気がする。体育については要するに学級会と同じ。
社会は教科書を使って、プリントの穴埋めなどをさせていた。もちろんプリントは彼の自作などではなく業者のものである。国語も同じ。プリントを配ってやらせる。一応指摘しておくが、こんなのは教員としてまったく不適格である。そこに存在している意味がないではないか。

面倒くさがり

小学校には、連絡帳というものがあった。たとえば熱を出したから休むというときには、親がそのむねを書いて、近くに住んでいる子に渡し、学校まで持っていってもらう。
1、2年のときに担任だった先生は、返事としてその日に勉強した内容から学校の様子など、びっしりと書いてくれた。しかし、Kはというと、いつも「わかりました」の一言。印を捺す欄があったのだが、彼は常にサインで済ませていた。

不遇な女の子

Kはどういう気質の持ち主だっただろうか。短気だとか面倒くさがりだいうのは上述の通り。しかし、別の側面もあった。
クラスにはふたりのかわいい女の子がいたのだが、Kは彼女たちに露骨なやさしさを見せる。彼女たちはKを「K星人」と呼んで楽しく遊んでいたようだ。しかし、私はKの猫なで声を子どもながらに気持ち悪く思った。
それだけなら、ぎりぎりセーフかもしれない。だが、これ以後はアウトだ。
ひとりのある女の子がいた。小さいころにはよくあることだが、彼女は「○○菌」だの「さわるとばっちい」だのといわれる。
なぜ彼女だったか。容姿や障害といったことではない。あえていえば「にぶさ」か。算数の時間など、理解に時間を要することがあった。Kはそういう生徒を、馬鹿にしてからかうのだ。
「○○菌」というのは、不潔というよりも、感染すると馬鹿がうつる、というニュアンスで使われた。つまり、彼女がひどくいわれる原因は、Kが作り出したといえる。
3年のメンバーのまま、4年になったが、担任は変わった。彼女が失礼な扱いをされることは減ったものの、4年の途中で転校した。理由は親の仕事と聞いた記憶があるが、定かではないし、それが本当かもわからない。
お別れの挨拶をした後、彼女はみんなに水色の透き通った下敷きをくれた。当時、転校する子はそういうプレゼントをすることが多かった。
彼女が転校すると聞いたとき、まず気になったのはそのプレゼントだ。彼女は、明らかに私たちへ好意など持っていないはずだ。はたしてそれでもくれるのだろうか。
「自分に好意を寄せてほしい」。水色の下敷きは、ひどいことをいわれながらも、最後の最後までそう願っていた証なのだと思う。
私はそれを、つい最近まで使っていた。デザインも好きだったし、彼女のことは忘れてはいけないなという気がした。

終わりに

いま思い出せたのは、このぐらいだ。
たとえば生徒を殴るというような類の問題は、私たちのころにはなかった。しかし、細かな部分でいくつも問題があることは認識してもらえたと思う。
こんな問題教師でも、1年間は担任であり続けることができた。いや、できてしまった。
あれから15年が経った。
時代は変わった、だろうか。