小説新潮』4月号

短編「ハンカチ」が掲載されている。場面緘黙症の生徒と、吃音の先生が迎える卒業式。今後のシリーズ展開も期待させるが、とりあえず次号予告に重松清の名前はなかった。
思い出話になるが、自分の周囲にも場面緘黙症(ばめんかんもくしょう。要するに、場面によって話せなくなってしまう)の女の子がいた。小学校入学から中学校卒業まで、クラスがいっしょだったのはたぶん、小学校で2年間と、中学3年の1年間だったと思う。
友だちうちでは話していたみたいだ。しかし、授業中に先生から答えを聞かれるとだめだった。
算数の時間には、先生が彼女の口に耳を近づけていた。そうすると、安心するのか、彼女もしゃべっていた、らしい。
「はい。正解です。よくできました」と先生はいう。それに対して、「本当にしゃべっているのかよ」「みんなのまえでいってみろ」と罵声を浴びせる男子ども。先生は「ちゃんといってるのよ」と答えていたが、幼さというのは恐ろしい。
中学3年のときは、むかしよりは話せるようになっていたようだ。決して多くはないが、友だちもそれなりにいた。だから、もう特別視することはあまりなかったし、もう私たちは幼くない。そういう人をからかっちゃいけないのだということを学んだ。
しかし、みんなのまえでだめなのは変わりなかった。授業中に答えを聞くのが、名簿の順番とか、あるいは、座席順とかだと、彼女にもあたる。
「Aさん。どうかな。だめかな」と一応確認するのだが、その様子がわざとらしいというか。まあ、わざとらしいというけれども、自分が先生の立場だったら、どうすべきなのかはわからない。
卒業して、その後どうなったのかは、まったく知らない。
今回、この小説を読んで、場面緘黙症という名前を与えられると、問題認識が容易になるなあと感じた。もし、幼い時期にそういう症状について考える機会があれば、私たちの人生も、そしてまた彼女の人生も、まったく別のものになっていただろう。そんなことを思う。

早稲田文学』Vol.3

連載インタヴュー「重松清の部屋」第3回は堀江敏幸が登場。前回はなかったタイトルが今回は再びつけられていて、「側道をゆく」というもの。

重松 むかし早稲田で一緒に講演したとき、植草甚一さんについて話したでしょう?

このふたりは、『早稲田文学』2001年7月号で、「浮島のうえを歩く」と題した対談をしている。そこでも植草さんの話は出ているのだが、これは講演ではなく、事務室の一角みたいな場所で話しているもの。講演はまた別の機会だったのだろうか。聞きたかったなあ。

3月24日付夕刊フジ(23日発行)「オヤジの細道」

タイトルは「マスターズ甲子園」。公式サイトは以下。
http://www.masterskoshien.com/

3月21日付読売新聞朝刊

18、19の両面にわたって、3/1におこなわれた森永卓郎さんとのトークの模様が掲載されている。

人生案内(読売新聞朝刊)

下は通算7度目の回答。3月22日付のもの。
http://www.yomiuri.co.jp/jinsei/gakko/20060322sy21.htm

映像の戦後60年

「あなたの映した戦後にっぽん」という3時間番組が、3/25にBSハイビジョンで放映された。BS2での放送は決まり次第とのこと。
http://www.nhk.or.jp/sengo60/