伊坂幸太郎著『死神の精度』(文藝春秋)

伊坂幸太郎は初読み。この『死神の精度』は第134回直木賞で有力候補だという声が強かったから、初版本をキープしておいた。結局受賞せず、読むこともないまま積読に。
今月発表になる第19回山本周五郎賞では、『終末のフール』が有力らしい。だから、まあ1冊ぐらい目を通してみようかと思い取り掛かる。
結論からいうと、私は伊坂さんのいい読者にはなれなかった。いや、なろうとしなかったというのが正しいのかもしれない。
構成としては6編からなる連作短編集。主人公は死神。彼はこっそりとこの世の中に存在し、私たちを生かしておくか、それとも死んで構わないのかを判断している。
連作なので、それぞれにつき1人の判断を下す×6というのがこの本。ただそれだけである。たとえば、「一生懸命生きていたら、死神が私たちを生かしてくれるかもしれない。だから頑張って生きよう」なんていうメッセージは一切ない。
だから――、読者は伊坂さんがこめた意図を自分で読み取らなければいけない。私がいい読者になろうとしなかったというのはつまり、その努力を怠ったということだ。もっといえば、正確に読み取るほどの自信がなかったのである。だから、逆にいえば伊坂さんのいい読者たちは、きっとすぐれた読書家なんだろうなと思う。
けど、へっぽこな本読みの私でも、文章の技術が非常に高いということはわかった。帯文にはこうある。「クールでちょっとズレてる死神が出会った6つの物語」。
ズレてるんだけど、あくまでも「ちょっと」なのである。それは本書を読んだ方なら、誰しもわかってくれるはずだ。この「ちょっと」を書くことのできるバランス感覚は、伊坂さんの秀でたところといえるだろう。
あとは、状況説明が説明っぽくならないということ。もちろんそれは、会話文中で説明しているからなのだが、いかにもこれ説明ね、と思わせる部分がない。ミステリーを書く作家として、このことは大きな強みだと思う。
1冊読んだだけでいうのもなんだが、実力ある作家だ。大きな賞を取って、日の目を見るときがいつかくるだろう。それがすぐなのか、しばらく経ってからなのかはわからないけれど。