自慢話

その1

ズッコケ三人組」シリーズや『さぎ師たちの空』でおなじみの、といちいち紹介するのが失礼になってしまうぐらい有名な、那須正幹先生からお手紙が届いた。そこには60字ほどのメッセージが、達筆な文字で書かれている。普通ならば飛び上がって喜ぶところだろう。しかし、私はいま、猛烈に後悔している。
ズッコケシリーズを集中的に読んだのは、小4(1994年度)から中2ぐらいまでだったと思う。もちろんクイズに答えて、ファンクラブの会員にもなった。
残念ながらその後、読書そのものから遠ざかってしまったが、2004年12月に『ズッコケ三人組の卒業式』でシリーズが完結するということで、再び読んだ。本の刊行を記念し、ジュンク堂トークセッションが開かれたんだけど、「もう満席です」といわれ、そのときには非常に残念な思いをしている。
とすれば、お手紙をいただいたことはすごいうれしい、となりそうだ。しかし、そうならないのにはわけがある。
このお手紙は、別にファンレターの返事としてきたわけではない。『ズッコケ中年三人組』に挟まっていたアンケートハガキを出しただけだ。
私はこのアンケートの類を、ほぼ必ず出している。仮にたいした感想や意見がなくても、だ。今回もたいしたことを書いたつもりはない。「冒頭の哀愁漂う感じは中年の悲哀を感じさせてよかったが、結局いつものズッコケワールドになってしまい残念」とか、そんな感じ。便所の落書きレベルである。
だから、たいして気持ちを込めないで書いたものに返事がきてしまい、後悔しているというわけだ。たとえネガティブなことを書くにせよ、しっかりと文章を練るべきだったと反省している。
しかし、悔いてはいるけれども、やはりうれしい。それは単に著名人からハガキをもらったということではない。
私が好意的に思ったのは、ポプラ社が、こういった否定的な意見でも先生に渡してくれている、ということだ。また、そういう意見に対しても、「期待を裏切って悪かったな」と思って返事を書いてくれる先生のことが、心底、好きになった。

その2

MILKCAFEhttp://www.milkcafe.net/)というサイトがある。アクセスしてみればわかることだが、2chのような掲示板の集合体だ。なかでも学生生活や受験向けの板が多いことに特徴がある。大学に入ったばかりのころ、特にのめりこむ対象がなかった(いまでもそうだけど)私は、1日に3時間も4時間も、ミルクに滞在した。
なぜ2chやほかの掲示板などではなかったのか。まあ、話題が身近だったことと、利用者と運営側との距離が近かったことが大きい。あとは、管理人が大学の先輩だったことがあげられる(ふたつ上。つまり、私がいま3年だから、彼は5年である)。
MILKCAFEは、ここの記述(http://internet.watch.impress.co.jp/static/column/jiken/2004/06/09/)によると、もう約5年半にわたり運営されていることになる。ここまで長期間の継続を可能にしたのは、管理人が持つ類稀なセンスの数々のおかげだろうと、利用者として思う。
毎日、長時間ミルクに滞在していたので、ネット上で知りうる管理人の情報は知り尽くしてしまった。そして彼から強く影響を受けてもいる。とりわけ漫画だ。彼が薦めていた日本橋ヨヲコは、全作品を読んだ。また、ある板に「鎌倉の海なんか汚くって最悪ですよ」と書き込んだら、彼は「鎌倉いいじゃないですか。吉田秋生さんの『ラヴァーズ・キス』の舞台ですよね」というふうに返答してきたので、購入して読んでみたりもした。
あとは、コアマガジンが出していた『2ちゃんねるぷらす』というムック。このなかの企画で、彼はひろゆきさんたちと廃墟を訪れたり、あるいは文章を書いたりしていた。その文章がまた素晴らしいのだ。読みやすいのはいうまでもなく、笑いが取れて、かつためになる。自分にもこういう文章が書けたらなあと思っていた。
そんなわけで、彼は憧れの人だった。憧れの人、というと同性愛みたいな話になってしまうかもしれないが、要するに、私は彼のファンなのだ。
そんな彼が、あるBBSに「誰か授業のノートください」ということを書いていたので、メールをしてみた。コピーするぐらい楽なことだし、いままで楽しませてもらったお礼だと思えば、苦痛でも何でもない。もちろん、実際はどんな感じの人なのかな、と知りたかったというのもある。で、初めて本物に会ってきた。
ノートを渡すために会った彼は、顔こそ知っていたので、そのとおりだったが、想像とは違い、ラテンっぽい高い声でしゃべる人だった。わずかばかり話しただけでも、人をひきつける類稀なセンスというのを十分感じる。やはり素晴らしい人だ。
帰り際に、「じゃあ、(6年生になってしまわないように、試験を)がんばってくださいね」といってしまったことを悔やむ。なぜなら、「『がんばれ』に代わる言葉を考えたい」という記事(http://blog.livedoor.jp/kensuu/archives/50046115.html)を彼が書いたのを読んでいたからだ。