『リチャード・ジュエル』

早稲田の校友会向けサービスで、年度に2回、映画を500円引き*1で見られる。

今年度はまだ未使用だったなーと思って、気になってた本作を鑑賞。

尺が131分。同じクリント・イーストウッド監督の『ハドソン川の奇跡』や『15時17分、パリ行き』が90分台だったのと比べると長い。それなのにスキがなくてあっという間。興味の離れる時間がなかった。

ストーリーは明快。アトランタ五輪のさなかに爆破事件があり、第一発見者で英雄とされた警備員が一転して疑わしき人物にされてしまう。そこから疑惑を晴らすべく奮闘するという、実話がベースになった物語。

娯楽としての面白さがしっかりありつつ、考えさせられる点も非常に多い。

私が印象に残ったのはまず危険物に対する感覚。警備員のリチャードが持ち主不明のバッグを見つけ、これは調べるべきだという態度をとるんだけど、意識が共有されない。周囲は誰かの忘れ物だろうぐらいの感じなのだ。

このシーンで思い出したことがあって、たしかツイッター上の話だった。

新幹線に乗っていたら、持ち主がそばにいないスーツケースを発見。車掌を呼んで、危険物かもしれないから中身を確かめるよう求める。しかし車掌はそれをしない。トイレなどで離れているだけではないかと告げる。それでもなおチェックを要求をしたため、投稿を見た人から反感を買ったというような出来事。

私はけっこう好意的に思っていた。雰囲気だけで安全と判断するのは、たしかに正しい態度ではないなあと。

余談だけど、このエピソードが検索してもまったく出てこない。私の想像上の出来事だったんだろうか(笑)。男性作家だった記憶があるけど、どうだったかな。

次はプロファイリングについて。リチャードが疑われたのはプロファイリングで導き出された犯人像に当てはまることも理由のようだ。

このへんは、近頃言われてるAIの問題とも重なるのかなーと。たとえばAIに採用を任せようとしたら、既存の価値観がベースになっているため男性優位の結果が出てしまったとか。

現実を見ずに類型だけで判断をくだす危険性は、今にもつながると感じた。

最後に弁護のあり方について。疑いを晴らす形式の話は、被疑者と弁護人なり協力者が一枚岩になるパターンが多いんじゃないかと思う。しかし、リチャードはなかなか弁護人の思う通りに動いてくれない。そこは典型からずれていて、本作の魅力にもなっていると思う。現実にはこういうこともままあるんだろうなとも。

109シネマズ湘南(シアター8)にて。

*1:109シネマズの場合は900円になる。