『ひそやかな花園』(毎日新聞社、2010/7)

私の好きな映画にダンカン監督の『七人の弔い』がある。親子7組が夏休みに「キャンプ」へ出かけるが、それがただの「キャンプ」ではないことに、子どもは気づいていく。いったい大人は何をたくらんでいるのか……。そんな話の筋。
この『ひそやかな花園』も、謎の秘められたキャンプが描かれる。なぜ夏にしか会わないのか、それぞれはどうやって知り合ったのか。子どもたちに疑問が募っていくという部分が前半。
中盤は時間が進む。そして、かつておこなわれていたことの真実を知る。角田氏がうまいなあと思うのは、おのおのが認知するタイミング・度合いに差をつけているところ。そしてもうひとつ。現在の生活のなかに、かつての日々を少しずつちらつかせているところ。
特殊な形の家族が描かれるとはいえ、角田氏が書いていることの根幹は、他の作品とそう変わらない。外の世界に出ようとするか。未知の境地に立とうとするか。仮に行動を起こしたところで、何かが得られるとは限らない。マイナスになることだってあろう。それなのになぜ。
「理解できないという落胆の先に、もしかしたら、それよりはるかに強い何かがあるのではないか。だから私たちは、向き合い、話そうとするのではないか」(p.281)

サイン会

青山ブックセンター(六本木店)にて。19:00からなので、19:30に着けばまだやってるか、ぐらいの気持ちでいく。
そして予定通りの時間に到着したのだが、サイン会のまえにトークショーがおこなわれていたようだ。私が店内に入ったときは、最後の質問コーナーらしかった。

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サインの列には並ばず、しばらく店内で涼む。すると、店員に対して男性が不満を告げているのが聞こえた。いわく「時間どおりにきてたけど、人がいっぱいなのを見て、別の場所で待っていた。そしたら、(告知されていない)トークショーをやっている。なんで教えてくれないのか」と。
たいへんごもっともな意見だとは思うのだが、私は文句をいうような気持ちにはならなかった。たぶんその人ほど角田氏のことを好きではないのだと思う。そして過ぎたことはさっさとあきらめる生き方をしているのだとも思う。