とある不登校児の記憶

彼は中1のときの同級生だった。外見は地味だけどよくしゃべる。そしてその話しぶりは好感を抱かせるものだった。
不登校になったのは、入学して半年した秋ぐらいだろうか。以来、現在に至るまで「顔」を合わせる機会は1度としてない。きょうはそんな彼のことを記す。

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私の通った中学は、A小とB小の生徒がほぼ半々で構成される。私はA小、彼はB小の出身だった。
こういう環境にある学校は、出身中学別に固まったりして最初ぎこちない。
だけど、彼と私はよく話していたと思う。ふたりとも野球部だったし、入学直後の席が前後だったからだ。
6月、中学初の遠足は相模湖ピクニックランド。私たちは名前の順で近かったこともあり、同じ班だった。このとき撮った写真が、唯一彼といっしょに収まったものになる。

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学校へこなくなるきっかけはあったのか。断言していいが、いじめは絶対にない。彼が不登校になったとき、クラスでは「なんでこないんだろう」という会話が頻繁に交わされた。いじめがもとだったら、そんな話がされるわけがない。
勉強のほうはどうか。彼は私が知る限りごく普通の成績で、悩むほどではなかったと思う。
原因はあるのかもしれないし、ないのかもしれない。

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先述のように、以後は一度も顔を合わせていない。しかし話は続く。翌年(1997年)の正月、彼が年賀状をくれたのだ。
「学校へはこないのに年賀状?」という違和感はあまりなかった。そういうのは、くれる人はくれるものだからである。野球部の仲間内で聞いたところ、2、3人が同じようにもらっていたと記憶する。内容は「ことしもよろしく」とか、当たり障りのないものだった。
私はこんな返信を書いてポストに投函した。
「学校にきてくれとはいわない。だけど、きたくなったらいつでもきてよ。僕らはくるのを待ってるから」

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年明けのある日、廊下の掃除をしていると担任の先生に話しかけられた。
彼のお母様から電話がかかってきたという。私の年賀状に「とても感動されていた」らしい、彼のお母様が。彼自身がどう思ったのかは知らない。

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当時の私は、いいことをした気になっていた。
でも、いま振り返ってみると自分の行動をよく思えない。なにか偽善のような気がして。
でも、それが偽善だとしたら善ってなんだろう。彼を家から引っ張り出すことか。当たり障りのない返事を書くことか。考えてもよくわからない。
しかし、少なくとも必要なのは、記憶のどこかに彼を留めて忘れずにいる、ということだと思う。だからこの文章を書いてみた。