原武史著『滝山コミューン1974』(講談社、2007/5)
東京都東久留米市滝山。ある時期そこの小学校でなされた試みがある。それは教育だったのか、はたまた…。著者が、自身の記憶と様々な資料から掘り起こした問題作。帯の推薦文は、明治学院大学国際学部の同僚である高橋源一郎。
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評判に違わず面白かった。一番の驚きは、教育がかくも研究されたものなのか、ということだ。
1983年生まれの私にとって、学校で掃除をしたり、給食を配ったりするときの「班」という概念は、何の疑問もなく受け入れられるものだった。しかし、それは1960年代に、意図を持って教育現場へ導入されたものだという(p.53あたり)。
あの「班」が、私が当たり前に受容していた班が、かつては当然のものではなかった。そんなところからして驚きなものだから、私には全編が驚愕の事実だ。1冊丸々楽しませてもらった。
以下、気になったところをいくつか。
陸の孤島
著者は滝山団地について「陸の孤島」という表現を用いている(p.5など)。それは、p.134に引用されている朝日新聞の記事中にも出てくる言葉なのだが、私は最初、違和感を持った。
なぜか。電車が通っていない武蔵村山のことをそう呼ぶならまだしも、東久留米ないし小平には通っているではないか。
しかしよく考えてみると、この「陸の孤島」というフレーズ、圧倒的に正しい。滝山団地の人はおおむね自家用車を所有していなかったという(p.26)。つまり、船がないから島を脱出できないわけだ。他方で武蔵村山の人は別に団地ではないから、車を持つことができる。別に孤島でもないような気さえする。もちろん、出勤に車を使えないなどの事情はあるだろうが。
弥生軒の天ぷらそば(p.78)
以前から食べたいと思っているのだが、なかなか機会がない。
p.100-102あたり
昨年3月、西武鉄道のレッドアロー号がお召し列車として使用された。そのことの意味合いを私が正確に理解できたかというと疑問だ。しかし、ここに書かれている西武と皇室の関係を知って、少しはわかった気がする。このへんの記述もそうだが、時おり出てくるうんちくもこの本のひとつの楽しみだ。
『群像』2007年6月号
著者と重松清の対談が掲載されている。ここでもっとも重要なのは、著者による以下の発言だと思う。
「5組の中でもどうしてもなじめない児童は、転校しちゃったんです。(中略)ほかのクラスは[卒業アルバムに]大体四十人か四十二人ぐらいいるんですけど、5組だけが三十六人しかいない」
はたして「なじめなかった」という表現でいいのだろうか。本のp.180-182に、三浦先生が休んで、代わりに片山先生が授業をしたというくだりがある。そこで片山先生に著者はこういわれる。
「原の答えには自分の考えというものがまるで入っていない」
おそらく5組でも、気に食わない生徒をおとしめるようなことをいっていたのではないか。とすれば、なじめなくて転校したのではなく、片山先生が意図的に追い出したという見方もできそうだが、それは外野の人間がいうことではないな。