新宿区西早稲田1-4-17

あるblogにおいて、此処路(こころ)の弁当を食べたこと、そして、なぜ構内で学外店舗の弁当が売られるようになったかについて書かれていた。
まず、先に後者について。このblogの1/19のところで、そのことについて「これは何ゆえ」と私は書いた。
だが、実は「何ゆえ」なんて思ってなかった。その理由については考えていたのだが、書く時間がなく、楽をするために「これは何ゆえ」なんて終わりかたをしてしまったのだ。
それで、考えていた理由というのは、こういうものだ。「生協が学内で弁当を売るから、大学の外に学生がこない。これじゃあ、商売あがったりだ」みたいなクレームをどっかがつけた。それに対して、周囲の商店会がそろって同調する。仕方なく大学はさしあたって、いくつかの弁当業者に場所を提供したと。
いま思うと、あまりにも無理があるこのストーリー。書かずにいてよかった。と同時に、正しい(と推測される)わけを教えていただいたことについて、感謝を申し上げたい。
次に前者について。実は此処路の弁当を食べたことをblogに書くにあたり、ひょっとしたらこれは興味を引くんじゃないかなと思っていた。それは、あるblogで過去に複数回、この店について書かれていたからだ(私の記憶が正しければ)。
もちろん、興味を持ってもらうのは大いにけっこうだ。しかし、いったい此処路のどこに魅かれるのかというのは気になる。世間的な見方をすれば、早稲田のなかの数ある店のひとつに過ぎないと思うのだが。
「世間的な見方」と書いたが、私にとってみれば、「数ある店のひとつ」ではない。
此処路が開店したのは、2004年4月5日。当時は椅子がなくて立ち食いだったり、そばうどんのみで丼がなかったりしたが、まあそれは関係ないのでおいておく。
書きたいのは、此処路ができるまえだ。そこには、フクちゃんという店があった。チョコとん(チョコ入りとんかつ)とかチーメン(チーズ入りメンチカツ)で有名だった店だ。
私は、2003年4月に大学に入り、5月ぐらいからだったか、月曜日から金曜日までフクちゃんに通いつめるようになった。そして、そんな日々は、2004年2月7日に閉店するまで続く。
さみしかったのはいうまでもない。だが、それ以上に思っていたことがある。フクちゃんは早稲田を代表するような店だった。だから、その後にも、そういう存在になれる店が入ってほしい、ということだ。
何になるんだろうと、工事の様子を眺めながら、大学に通う日が続いた。そうして、此処路が開店する。
店内にビラが貼ってあった。そこには、「先代、とんかつ、フクちゃんの名を汚さないよう」「早稲田の皆様に愛される大衆の店になるよう」といった、言葉が並んでいた*1
愛されるためには、長い時間をかけて、信頼を築かなければならない。だから、私が此処路を見つめる視線は、いつだって、厳しい。