フィッシュマンズ「ナイトクルージング」

世代をこえて歌える曲が少なくなったといわれて久しい。世間がいうには、シングルで大ヒットが出なくなったことなんかが、それを裏付けるらしい。
でも私は思うのだ。曲の性質が問題なのではなく、テレビがパーソナルなものになったことこそ原因ではないかと。
うちにテレビが1個しかなかったころ。誰かがつけたテレビを、みんなで見ながらごはんを食べていた。
あるとき、スペースシャワーTVで流れていたのは、フィッシュマンズの「ナイトクルージング」だ。
父親が、「この曲いいよね」といった。
弟は、「ずっと同じこといってるだけ(の曲)じゃん」と返した。
私はそんな会話を聞きながら、先鋭的だけど、必要以上に先鋭ぶってるようにも感じたのを覚えている。
ときは流れ、弟の部屋にも、そして私の部屋にもテレビが入った。人に邪魔されず、好きな番組を見られるようになった。邪魔がなくなるというのは、いいかえれば、自分の視野に入らないものを入らないままの状態にしておけるということなのかもしれない。
大学に入ったころだっただろうか。あの「ナイトクルージング」が懐かしくなって、『空中キャンプ』を買った。
そうして聞いた「ナイトクルージング」は、記憶にあったのものとずいぶん違っていた。
まず、驚いたのはちゃんとした歌詞があったということだ。弟の「ずっと同じことをいってる」というかっての言葉が、歌詞など存在しないという勘違いを生んだのだろうか。そして、曲のテンポは頭のなかにあったよりもかなり速かった。
それから長いこと聞いていなかったのだが、最近CDの整理をしたときに、PCで聞いてみた。「ナイトクルージング」は、またしても私の頭のなかにあるテンポと違っていた。
とらえどころのない曲だ。いや、とらえられないのは曲ではなくて、むかし家族いっしょにテレビを見た日々の記憶かもしれないし、ひょっとすると、亡くなった佐藤さんなのかもしれない。
みなさんは、どんな年末をお過ごしだろうか。両親につきあって、面白くもない演歌を聞いている人もきっといるはずだ。
いま私は、ひとりでPCと向き合う。そんな私からすれば、たとえ演歌が邪魔な雑音であれ、いっしょにテレビを見られるって素晴らしいことだと思う。
よい新年を。