雑誌をただで読む私

ネットや新聞を見ていると、図書館を無料貸本屋だと思って、まったく悪びれずに新刊やベストセラーを借りまくるやつがいる。かってはいちいちむかついていたが、いまは特に何とも思わない。ひょっとしたら、そういうやつがあまりにも多くなって、正常な感覚が麻痺したのかもしれない。
だが、そんななかにあって、下の文章は久々に私を激怒させてくれた。

しかし一体図書館というものは、
本屋で平積されるベストセラー系の本を、
何冊仕入れておるのでしょう。
通常、予約して遅くとも2週間で借りられる本が多い中、
これらの本は40週以上かかっておるぞ。
http://tekkamaki.exblog.jp/4857301より)

そんなものはなあ、ベストセラーだろうがそうじゃなかろうが、1冊おいてあれば十分だろうが。そう思った。
ならば、そういう自分は、どんなふうに図書館を使っているのだろう。また、その使い方には問題がないのだろうか。そんなことを考えてみる。
まず、レポートを書くために参考文献を借りることがある。まあ、年に2、3冊というところか。たまにどこの図書館にも入ってないときがある。そういうのは、たいてい新刊書店でも手に入らない本なので、オークションとかアマゾンのマーケットプレイスで買うことになる。
いくら何でも、この利用の仕方に文句はつかないだろう。というか、これを批判するんだったら、学校の先生が「調べものをするときは図書館にいくんだよ」という教育から変えなければいけないことになってしまう。いくらなんでもそれはないと思うので、次の利用法に進むことにする。
ふたつめに、これが一番多いのだが、雑誌をその場で読むことがあげられる。なぜ私は買わないのだろうか。「いちいち購入していたら、置く場所がなくなるから」と答えられたらかっこいい。だけど、そうはいかない。やはり意識せずとも、お金の問題があるんだと思う。
実はこれ、ベストセラーを借りまくるやつも同じなのではないか。お金がないから、図書館に頼るわけだ。ということは、私は借りまくるやつと同罪?
いや、同罪にされたら困ってしまう。だから、両者の違いをあげてみたい。
とりあえず、みんなが雑誌を読みまくっても、図書館が購入するのはほとんどの場合、1冊だけだ。
しかし、ベストセラーは借りるやつが多くなれば、2冊3冊と購入していることが多い。どこかの誰かが、「いや、おれは1冊だけ置いてくれたら、順番を待つけど」と主張したところで、それが多数派にはならないだろう。
そうなると、複数冊買うことによって、図書館財政がさらに厳しくなる。資料的価値がある本、つまりは学校の先生に教えられたまっとうな利用法をしたときに借りられる本が置けなくなってしまう。
よって、雑誌をただ読みするのは、ベストセラーを借りまくるのと同罪ではない。
あまりにもすらすら書けてしまったのだが、こんな結論でいいんだろうか。