俺はもう、かってほど読売が嫌いではない。読売はヴェルディを手放し、ジャイアンツも勝てなくなった。野球中継はまったく視聴率を取れない。そんな弱い読売の姿が、かっての嫌悪感を忘れさせるのかもしれない。
そもそも、なぜアンチ読売になったのか。
うちが取っていたのはずっと朝日だったのだが、1992年ぐらいのある1年間だけは、なぜか読売だった。わざわざ取ったからには、そのときは父親も特別嫌いではなかったのだろう。
しかし、1年の契約を終え、さらなる購読を望む業者に対して、父親はこういった。読売はヴェルディとジャイアンツのことしか載せないから嫌だ。もし、ひいきをしないんだったら取ってもいいけど、そんなの無理だろう?
もちろん、業者はいい返せない。自分で紙面を作ってるわけじゃないから。それでもこいつは食い下がる。このしつこさこそが、私をアンチ読売にしたものではないかと記憶する。
そんな俺にとって、ジーコがはいたつばは本当に忘れられない。あのつばは、私の気持ちと完全に一致していた。
アントラーズファンはもちろんのこと、アンチ読売なら誰もが、ジャッジのおかしさを感じていただろう。何もあの試合だけに限らない。あのころの読売は、金と権力でスポーツ界までも支配していた。
だから、あのつばの意味を私はこう考えている。それは審判に対する不満でもなければ、相手を動揺させるためでもない。大日本読売帝国に対する抗議である。