角田光代との対談

第43回夏の文学教室の4日目。ことしの通しタイトルは「文学にみる『食』と『暮らし』」。
1時間目(13:00-14:00)が石崎等(前立教大学教授)「漱石の住空間について」、2時間目(14:10-15:10)、3時間目(15:20-16:20)が重松清×角田光代の対談「食卓をめぐる光景」という時間割。
11:50ごろ到着。開場まで階段で待たされる。予定より10分ほど早く、12:20に中に入ることができた。夏休みとはいえ、この時間、こういう内容ということで、客はカルチャーセンターにいそうなじいちゃんばあちゃんが大多数である。
席に着いて、一息ついたところで、隣に座ったばあちゃんが、「この席見ておいてもらえますか」的なことを私にいって出ていった。席にはハンカチ1枚が残されているだけ。
まあ、どうせトイレだから、すぐに帰ってくるだろうと思った。しかし、その予想は見事に裏切られる。このばあちゃん、帰ってくるまでに25分も要しやがった。あのなあ、私だってトイレにいきたいんだよ、まったくもう。
1時間目開始。大学の教授をしていたというだけあって、堅い話だ。お話というよりも講義といったほうがふさわしい感じ。
そんなことを考えていると、前の客が寝始めた。そろそろ20分ぐらい経ったのだろうか。そう思って時計を見たが、まだ8分である。ううむ、講演者は素晴らしく効き目のあるラリホーを唱えるなあ。
そのうち40分もしたころか、私も呪文の影響をくらってダウン。話の内容は何一つ頭に残っていない。
休憩を挟んで2時間目。さきに重松さんが登場し、続いて角田さんを紹介。一応、重松さんがインタビュアーという形式。角田さんの『ドラママチ』における食についての記述を参照しつつ、対談は進む。
角田さんが料理を始めたそもそものきっかけは、書いても書いても批評家にけなされたこと。それを聞いた重松さんが「これは、顔が浮かんでくる。ええ、○○っていうんですか?」
「○○さんもその一人ですけど、□□さんとかも」
実名が出てしまうのに思わず笑い。ここで伏せた名前が誰であるかは、有名な話だろうか。

カップヌードルの赤と白のパッケージを見ながら、ああやる気がないなあと、今日も思った。自分が今まさに食べているのは、チリトマトとかシーフードヌードルではなくて、オーソドックスなカップヌードル、というところがやる気なさの象徴のように思われた。選ぶことすらもしない。(『ドラママチ』p.41)

カップヌードルという時点でやる気がないようだけど、角田さんのなかではカップヌードルのなかでもやる気のランクがある。そこらへんのセンスを重松さんは誉める。
角田さん曰く、「シーフードやチリトマトは新しい」「ノーマルは子どものころからあって何も変わっていないことが怠惰」。だから、やる気がない感じがするとのこと。
対談は、笑いがあり、そのなかで小説にこめた意味が浮かび上がってくるという実に理想的な展開。角田さんがサークルでよく三品食堂にいったという意外な話もありつつ前半終了。
後半も重松さんが先に登場し、角田さんを呼ぶ。
話が始まった後、さっき迷惑をかけてきた隣のばあちゃんが、ラップに包んだお菓子を差し出してくる。餅に見えた。疲れてるときにうれしいな、甘いもの。そう思って口に含む。そうしたら、それは餅ではなく、飴だった。しかも、年寄りが好きな黒飴で、私は嫌な思いをしながら、口の中で飴が消滅するのを待つ。
後半も本からの引用がなくなったぐらいで、内容はほぼ同じ。
角田さんが書き分ける居酒屋のバリエーション(「白木屋や笑笑」「創作和食の店」「サラリーマンが仕事帰りにいくような居酒屋」)、重松さんがプチトマトという食材を憎む理由など、興味深い話満載で90分×2は終了。1800円(前売なので200円引)の価値は十分にあった。

7月28日付夕刊フジ(27日発行)「オヤジの細道」

タイトルは「秀子さん萌え」。旅番組でいい雰囲気を出す倉石功の妻について。文中で言及されているのは、下記のblogだろうか。
http://www.getsitaya.com/gets/liver_kakolog/liver_11.html

7月23日付夕刊フジ(22日発行)「シゲマツ解説委員長が斬る ニュースの読み方アソビ方」

パパニュース:婚なこと…暗なこと…でも「したい男」92%強
ママニュース:美の追求…ペット用クリームもあり!?
子どもニュース:学力低下問題返上も「格差社会」浮き彫り!?