映画『あおげば尊し

きょうが初日。舞台挨拶があるということで、雪のなかシネスイッチ銀座(2)で観てきた。
10:50から第1回の上映。4、5割の入りだが、この天候を考えれば健闘か。
開始後、少ししたところと、ラストで大感動。意味を解釈しかねるシーン(女の子たちが集まってバレエの練習みたいなことをしている場面)もあったが、単純に面白い映画であり、かつ考えさせられもする素晴らしい作品だった。
幕が閉じると、自然に拍手が起こる。ハンカチで涙をぬぐっている人もいた。
しばらくして、主演のテリー伊藤市川準監督が入ってくる。終わってすぐに入ってくれば盛り上がっていいのに、と舞台挨拶を聞くたびに思う。このころにはもうちょっとお客さんが増えていた。
作品にあわせるかのようにふたりとも細々としゃべるので、こんな天気なのにうんぬんという以外、何をいっているのかよく聞こえない。
3回目(14:50-)が始まる前にも舞台挨拶がある。この劇場は入れ替えがないので、12:50-からの回も観ていく。
新たに気がついたことがいくつか。ひとつは、バスの車中からの映像で市ヶ尾という地名標識が見えること。あとは、公園か何かの時計で、時刻が16:20だったのだが、これって「4時20分、つまり『死に』」を意味しているのだろうか、なんていうことも。
1回目とまったく同じようにうるうるする。感動の質がまったく落ちていない。だから、原作を既読の人でも、問題なく楽しめるのではないだろうか(私は既読だけど、読んだのは2年ぐらい前なので、内容を忘れていた)。
こんどの舞台挨拶は、薬師丸ひろ子麻生美代子(1926年生まれ、ことし80歳を迎える)が加わって4人が登場。
たしか薬師丸さんだったと思うけど、「大人の映画だ」ということをいっていた。こうして出演者を前にすると、そのことがより強く実感される。
もう1回観たくなったが、お腹が減ったので帰ることにした。
最後に。パンフの原作者紹介があまりにもひどいので、ほとんど全文転載の上、指摘させてもらう。

91年『ビフォア・ラン』(ベストセラーズ幻冬舎)でデビュー。99年『ナイフ』(新潮文庫)で坪田譲治文学賞、『エイジ』(朝日文庫)で山本周五郎賞、2001年『ビタミンF』(新潮社)で直木賞を受賞。家族をテーマにした作品が多数ある一方で、事件や事故を取材したノンフィクション『隣人』(講談社)などの作品も手がけている。その他の著書に『見張り塔から ずっと』、『定年ゴジラ』(講談社文庫)、『さつき断景』(祥伝社)、『流星ワゴン』(講談社)、『小さき者へ』(毎日新聞社)、『卒業』(新潮社)、『トワイライト』(文芸春秋)など多数。最新刊に、『その日の前に』(文藝春秋)、『きみの友だち』(新潮社)がある。

『その日の前に』→『その日のまえに』が正。
文芸春秋」と「文藝春秋」のふたつの表記が混在。
『見張り塔から ずっと』が講談社文庫のように読めるが、実際は新潮文庫
作品名のあと、「○○文庫」となっているものと、(文庫刊行済にもかかわらず)そうでないものが混在。

1月20日夕刊フジ(19日発行)「オヤジの細道」

タイトルは「ノースアップ宣言」。先週がしょぼかったが、今週は会心の出来、って私がいうことではないか。
カーナビ世代の人間は、フロントアップ、つまり常に進行方向が上になる表示方法になれている。だから、目的地へいくのにも、東西南北という考えが乏しい。
でも、重松さんはいまだにノースアップ(北が上に表示で固定)を使っている。「実生活でも、前進、前進、また前進……のヤツって、うっとうしいでしょ?」というわけだ。
これは、昨年9月、私が教習所に通っていたときの話。もちろん教習車にカーナビなんかついてないから、参照するのは地図だ。
教官に「これからどういう経路で進むのか?」と聞かれたので、ペンで「こうこうこうです」と指差した。そしたら、教官はこんなことをいう。
「あのね、地図は進むほうを上にしてみる。学科でもそういわれたはずだ」
短気な私。むっとしてこう答えた。
「いわれてません。私は北を上にしてみるのが好きなんです」
そんなことがあったためか、今回の「オヤジの細道」には、大いに共感したのである。
ちなみに、重松清はフロントアップと書いているが、検索してみると、ヘディングアップという表記のほうがポピュラーなようだ。