ブー通りの思い出

「ブー通り」とは、高田馬場から早稲田へと向かう途中にある脇道のことだ。その名の通り、高木ブーの家があるから「ブー通り」*1。距離にして200メートルちょっと、幅は車がなんとかすれ違えるぐらいだろうか。
これといって何があるわけでもない。通りにある多くの建物は、普通の家とかアパートで、天ぷら屋(いもや)、文具店、美容室などといった店がいくつか散見されるぐらいだ。
しかし、早稲田通りからほんのちょっと奥に入っただけなのに、情緒が漂っている。コインランドリーがあったり、その入口に公衆電話があったりして、歩いていると不思議にしんみりする。たとえるならば、早稲田通りの「平成」に対し、ブー通りは「昭和」といったところか。
タイトルに「思い出」と書いたが、別になくなったわけではないし、消えてしまうわけでもない。ある事情で歩かなくなってしまったのだ。
入学したばかりのころは、よく通っていた。14号館(おもに社会科学部が利用)、15号館(各学部共通教室)にいくのであれば、早稲田通りよりもこっちのほうが近道だからだ。だから、「社学通り」ともいわれていたようだ。
歩かなくなってしまったのは、つまり、近道ではなくなってしまったということだ。あれは、私が入学した年(2003年)の途中ぐらいだっただろうか。このあたりの記憶は曖昧になってしまったが、ブー通りの終わり(大学側)で工事が始まったのだ。これは、新目白通りと早稲田通り結ぶバイパス(?)を作るものだった。
工事前は、ブー通りの終わりが、大学そばのグランド坂というところに直結していた。しかし、この道が完成してしまい、ブー通りから大学へは片側2車線、つまりあわせて4車線分の道路をショートカットしなければならなくなったのである。しかも道路中央には、分離のためにガードレールぐらいの高さがある柵が設置されている。
打ち明け話をすれば、完成後もしばらくの間は、車がこないのを確認した後、柵を飛び越えて大学側へ、ということをやっていた。なぜやめたのかはよくわからない。たぶん、雨の日(傘を持っているので、柵を越えられない)や、重い荷物で柵を越えるのがおっくうな日が続いたからではないかと思う。
ブー通りを通るときは、朝の8:15ぐらいということが多かった。だから、ちょうど通学中の子どもたちがかけっこしたり、逆におしゃべりに夢中で足が進まなかったりという様子を目にする。そして、自分にもこんなころがあったのかなどと、少しばかりの時間、童心に帰っていた。ひょっとすると、童心に帰りたいがために、ブー通りを歩いていたのかもしれない。
そんなブー通りを歩かなくなって久しい。きょうはブー通りを通って、大学へいってみた。
写真を撮りながらなので、だいぶ時間をかけて歩く。そうしていると、ちらほらとではあるが、学生を見かけた。ひとりで歩いている人もいれば、友だちといっしょの人、恋人同士……。彼らは、一度脇道にそれて、もう一度元に戻るわけだから、遠回りをしていることになる。時間をかけてでも歩きたくなるブー通り。それは、ひとときのオアシス、ではないだろうか。変わらぬまま存在していたブー通りを歩き、そんなことを思う。

*1:http://homepage2.nifty.com/entetsu/s/waseda.htmの「勝芳」についてのid:sedoroさんのコメント参照。