箱根駅伝と私の「家」

珍しい苗字で、嫌な思いをしたこともたくさんある。しかし、これはよかった話だ。
2004年の4月後半のことだっただろうか。土曜日にあった英語の授業で、教員が出席を取った。
「○○さん」
「はい」
普通なら、そこで次の学生の名前を呼ぶわけだが、M先生はそうしない。それで、こういうふうにいわれた。「あなたのご親戚に、学校の先生をやってる人いない?」
こういうのは、珍しい苗字の宿命だ。問いに対して、たぶん私はあの人のことだろうなと思った。その方は、数年前まで神奈川県の県立高校で校長をしていて、すでに定年退職されている。どういう関係にあるのかはよくわからないが、私の両親が結婚するとき、仲人をしてくれた。
「いますけど」と私は答えた。
「体育か何かを教えてなかった?」
そこまではわからないと答えた。
「○○なんていう苗字は珍しいから、たぶんご親戚じゃないかと思うんだけど」
「そうですね。珍しいです」
これで、この日の話は終わり。残りの人の出欠確認に移る。
それから何回か後だから、5月か6月の、授業終了後、M先生の前を通って帰ろうとしたら、呼び止められた。
「あなたのご親戚に、□□さんっていう方いない?」
その□□さんというのが、まさに上記の校長をされていた人だった。
「うちの両親が結婚するとき、仲人をしてくれた人なんですよ」
「ああ、そうなんだ」
この日はこれだけ。そのまま、この件については何も続きがなく、2005年1月に授業が終了する。
M先生は、現役官僚でありながら、特別な許可を取って、土曜日だけ早稲田に教えにきている。役人としての経験を踏まえた、ためになりかつ笑える授業だったので、私は毎週楽しみに出席した。そういうわけで、1年間教えてもらったお礼のメールを送ってみた。いままでそんなことはしたことがない。
そうしたら、ものすごい長文の丁寧な返信がきた。逆に自分が教えさせてもらったことについての感謝などが綴られた後、苗字の件に。

最後の授業が終わった後、私を以前のように呼び止めて、話をしたかったが、ほかの学生がいたので、できなかった。□□さんは、M先生が中学のときの体育の教師で、「親子二代で箱根駅伝に出場した」とおっしゃっていた。体育を教えてはいるものの、本職は高校の社会科だということで、しばらくして高校に転任された。もし会うことがあれば、宜しく伝えてほしい。

「親子二代で箱根駅伝」なんて、全然知らなかった。これで少し駅伝に愛着めいたものを感じたこともあり、きのうきょうと選手たちを眺めにいった。
きょうは9区を見る。横浜駅北口を出ると、ほんとにたくさんの人。どこかに入り込むスペースがないかと歩いていくのだが、まったくない。私の母校たる代ゼミ横浜校の先、青木通の交差点(R1とR15の分岐点)までいって、ようやく場所を見つける(ちなみに、そこの上にある歩道橋は、階段の上り口に警官がいて、あがれないようになっている)。
きのうはもらえなかった旗を係の人からいただいた。これって、プレゼントの応募券なんかついてるんだ。知らなかった。
まったく情報を持たずに現地にいったので、何番目に早稲田がくるんだろうと、どきどきしながら待つ。トップからしばらくして、数え間違えてなければ9、10番目に東洋と並走してやってきた。うしろとはそれなりに差があったので、ことしこそシード権獲得か、これに満足せず、気を抜かないで上を目指してほしいなと思いながら、全選手が通過した後、その場を後にする。
あとでPCを見て知ったことだが、早稲田は13位でまたもやシード権を逃してしまったようで。またことしも予選会からがんばってほしい。