綿矢りさ著『インストール』(河出文庫)

単行本(初版)をオークションで手放してしまったので、このたび文庫を購入。書き下ろしも収録されていることだし、再読するのもいいかな、と。
上記のタイトルは2chから。もし、綿矢りさがブサイクだったら、私はたぶん単行本を「買っていなかった」と思う。
『インストール』が単行本で出たとき、リブロ町田店で「ああ、これが最年少うんぬんってやつか」と手に取った。で、中の写真を見て、「おっ」。もう何も考えずにレジまで持っていった。
だから、ブサイクだったら買っていない、おそらくは。
雑談はさておき、感想にうつりたい。この本、初読のときは、単に面白いなとしか思わなかった気がする。で、今回も、単純でわかりやすく、かつ面白いストーリーで、素晴らしいエンターテインメント作品だなとは思った。
だがそれだけではなく、文章に目を向けていると、細かいところまで凝りに凝っている。たぶん、書くのにはとても多くの時間をかけているのだろう。しかも、凝っていても全体のリズムは崩れない。
ただのエンターテインメントではなく、きわめて完成度の高い中編だったんだというのを、ときを経て再読し、実感した。
書き下ろしの「You can keep it.」は、11月11日付朝日新聞夕刊によると、「キャンパスの雰囲気など大学の感じを書き残しておきたかった」作品だという。
そういうわけで、描かれている風景が早稲田に重なる部分もあり、楽しく読んだ。
描かれていることは、『蹴りたい背中』にも通じる。正確にどういう言葉だったかは忘れてしまったが、スタートからゴールまでを描くのではなく、スタートから少し前に向かって踏み出した、というのを書きたい、といった趣旨のことを、『蹴りたい背中』刊行直後のインタビューでいっていた。この作品も、男女の長い長い今後を想像させて話が終わる。
感じたことを2点ほど。まずは、これまでの作品のように質の高いものを期待するならば、彼女をせかしてはいけないなということ。
それと、長編を書いたらどうなるのだろうか、というのが気になる。長いものを読ませておいて、それでまだ先が続いていく、みたいな終わり方は少しげんなりな気がする。そうさせないようなものを書けるのかどうか、あるいは短編、中編しか書かないのか。綿矢りさの今後を興味をもって見ていきたい。
最後に余談。私は基本的に早稲田がらみの作家には、身びいきしているという意識があるのだが、彼女は嫉妬の対象。
というのも、私が代ゼミで浪人していたとき、彼女が推薦で早稲田に合格し、通っているという記事を新聞で見たから。人が一所懸命に勉強しているときに、何でてめえはいい思いをしてんだよ、みたいな。
もっとも、のちにどこかのインタビューで、最初の1年は慣れることで精一杯ということをいっていたから、いい思いをするばかりだったかどうかはわからないけど。