『しあわせのねだん』(晶文社)

ものの値段にまつわるエッセイ集。各回タイトルが、「昼めし 977円」というように、もの+値段からなっている。
文章は、晶文社のサイトに掲載されたもの+いくつかの書き下ろし。人の生活を覗き見しているみたいに楽しめた。
以下、いくつか興味を持った点を。
まず、財布に入れておく金額について、「年齢を四捨五入した額×1000円」(p.75)という話。これは参考になった。なるほど、私は21を四捨五入した20×1000=2万円が、財布のなかに入ってなきゃいけないのか。
p.117では、バカ親子に対して「きゃつら」という言葉を使っている。角田流の独特な言い回しなのかなと思いきや、辞書に出ていた。きゃつは「あいつ」という意味で、それの複数形なのか。
そして、おばさんに金を無心される「想像力 1000円」(p.99-)。これは、私にもまったく同じような体験がある。
大船駅近くの中田書店で、目当ての雑誌を購入するために店に入ろうとしたら、40代ぐらいの男性が中から出てきた。格好は、ちょっと近場にピクニックでも、という感じ。要するにいたって普通。んで、私に対して次のようなことをいった。
石川県とかそっちのほうから、友人の家を訪れるために出てきたが、横浜までいく金がない(注:大船から横浜まではJRで290円)。だから1000円ぐらい貸してくれないか。お金は必ず返す。
うーん、どうしようか。まあ、嘘っぽいけど、1000円ぐらいならだまされてもいいか。そんなことを思いながら対応を迷っていると、中田書店の店主のおばちゃんが、店の中からこのおじさんをにらみつける。たぶん、私の前は、おばちゃんに対して、お願いしていたんだろう。
当時は横浜の代ゼミに通っていたので、大船から横浜までの定期を持っていた。この事件が起こったときは、予備校から帰ってきて、大船にいたところだったのだが、仮に彼のいうことが本当で、土地に不慣れな人だったら、ついていってあげたほうがいいかもな、と考え、とりあえず駅の切符売り場までいっしょにいくことにした。
彼は私を安心させるためか、「住所をこの紙に書いてください。お金は書留で送らせてもらいます」という。口調がねちっこいやつだったので、ちょっと命令でもしてやろうかと思い、「書くもの、ください」といった。そしたらこいつは「持ってない」という。なんだよ、このくそ。しょうがねえから、自分の筆箱からボールペンを出した。
その中田書店から、駅改札のほうへ歩いていくと、男は「いや、もうこのへんでいいですから。1000円貸してくれたら、必ず書留で送らせてもらいますんで」と再三再四繰り返す。彼のいうことは完全に無視し、ひたすら歩き続ける。そして切符売り場で、290円の切符を彼に確認などせず、購入してやる。そして、その切符を「はい」って渡してあげた。
すると、彼は「ああ、横浜まで290円でいけるんですか。それなら持ってました。私はてっきり、もっとするのかなって思ってたんです」だってさ。そんで彼はそのとき500円玉しか持っていなかったから、近くのキヨスクで100円玉に両替してもらい、私に300円を返した。それで私はおつり10円を財布から出して、彼に渡した。彼は「どうもすいませんでした」といって、切符を改札に通し、駅の中へと消えていく。
なんだったんだ、こいつは。家に帰って、母親にことの顛末を話し、どうすべきだったか、とアドヴァイスを求めた。すると、交番に連れていってあげるのがいいんじゃない、という。まあ、そうだよな。
この本をお読みになったかたはわかると思うけど、角田さんとの共通点は、友だちに会いにきてみたものの、合流するまでに、もうちょっとだけお金が足りないこと。
うーん、私たちがあとちょぴっとお金を出してあげれば、友人と合流できて、不自由なく行動できる。そう思わせることで、人の良心につけこんでるのかな。それにしても、この手口のそっくりぶりは、「こうすればお金をもらえるぜ」みたいに、情報が出回っているとしか思えない。
そして、悲しいかな、角田さん同様、私も、彼らからしてみれば、簡単にだませそうなターゲットだったということか。