坪内祐三「編集・ジャーナリズム論」第3講(4/27)

おととい水曜5限、いつものように20分ほど遅れてやってくる。毎回16:40からやるんなら、20分相当の給料をカットすべきだと思わないでもないが、もしそういうことを事務所にいったならば、彼は、授業終わったあと、学生を飲みに連れていってあげてるんだから、残業代くださいよ、と反論できなくもないか。
最初に、きょうが授業出るのはじめてっていう人いる、と聞くと、1人手が挙がったので、またまた評価方法、レポートの説明を簡潔にする。いい加減、聞き飽きたけど、恥ずかしがったりしないで、たとえ1人でもちゃんと挙手するこの学生はしっかりしてる。
授業はまだプリントの続き。前回のおさらいめいたこと(書評員制とか)を話した後、ネット上に載っかっている文章と、編集者、(対談とか講演の)演者によるチェックが入ったものの信頼性の差、文章化する際の技術(ニュアンスをきちんと捉えているかどうか、オチのつけ方)について講釈。
このことに関連して書いておきたいことがある。
一つ目は、下記URL中の「儲けたお金の使い道について」という部分について。
http://www.egawashoko.com/menu4/contents/02_1_data_43.html
坂本堤弁護士一家殺人事件の実行犯である岡崎一明について、江川さんが「許してやるべきだ」と発言したと、オウムをめぐる彼女の姿勢について予備知識のない記者が書いてしまったという件である。

間違っちゃったら、謝って訂正すりゃいいでしょ――そういう価値観の人間が、デスクという報道の要に位置し、そのうえ「市民記者」の養成まで任されている。そういうメディアが、このまま成長したらどうなるのかという不安までは、どうしてもぬぐきれなかった。(本文後半より転載)

「そういうメディア」を、たとえば2ch、あるいはblogに置き換えてみると、それが坪内さんのいいたいことなんだろうな、と思う。
実は初講日に、「坪内の授業はレポートを出さなくても単位がくると書いてあるけど、本当だろうかみたいなことがネットに出ている」と話して笑いを取る場面があった。
そういう情報を見ている、ということを、blogに載せられるのは、坪内さんにとってあまり得なことではないだろうなと考えて、私は書かなかった。だが、いい加減なことを書かれて、自分が損害をこうむらないためには、積極的にネット上の文章をチェックする必要があるんだろうな、と思い直す。
二つ目は永江朗著『メディア異人列伝』(晶文社)における中原昌也とのやりとり。

中原からは雑誌が発売されて何ヶ月か経ってから電話があり「ぼく、あんなこといいましたっけ?」といわれた。私が書いた中原の発言部分によってトラブルが起きたという。私は完全にテープ起こしをしてから原稿を作成するので、インタビュイーの発言内容を変更したり捏造することはない。

これが誠実な姿勢なんだろう。余談だけど、この本には坪内さんも出ている。
最後は、日本経済新聞夕刊の曜日替わり連載「プロムナード」の石平庄一の文章について。

話題の巨大掲示板をのぞいてみれば、タレントや有名人だけでなく、企業やその製品にたいしても、数十万件という、辻斬りのようなメールでいっぱいだ。(2004年7月29日掲載分より)

掲示板への投稿は「メール」ではなく「書き込み」だと思う。担当者は直そうと思わなかったのだろうか、それとも石平は、ネットに疎いことを演出するためにわざと間違えたのか、ということを読みながら考えた。
掲載されたときに書こうと思っていたけど、機会を逃していたので、ついでに。
まだ授業は、プリントの1問目の固有名詞説明が続く。神田神保町について地図を書いて説明しつつ、音羽系(講談社、光文社)、一橋系(小学館集英社)にも触れる。
その後、団塊世代、シラケ世代がいつぐらいの年の生まれになるのか板書し、その世代をターゲットとした雑誌作りがおこなわれたことを解説。
1970年ぐらいの『少年マガジン』の話のなかで、マンガ図書館(http://www.naiki-collection.com/)について言及した。私もいってみようと、早稲田入学以来ずっと思っているけど、場所というか入口がよくわからないまま、現在にいたっている。
そして『群像』、講談社の社風、中野重治、第1次戦後派について語ったところで、時間がきておしまい。
来週は5/4で国民の休日。再来週もまたプリントの続きをやるということだった。人数は前回の2/3(4、50人)ぐらいだっただろうか。連休明けに本題に入らないのは、まだ人数が多すぎるためなのかもしれない。