豊島ミホ著『日傘のお兄さん』(新潮社)

短編4本と中編の表題作からなる。感想ひとことずつ。
「バイバイラジオスター」
泣かせようとする意図はわかるけど、これぐらいでは涙を流せない。もっと言葉をつくさないと。
「すこやかなのぞみ」
「青空チェリー」につらなる青春官能小説的な作品だと思う。やっぱ著者はこういうの書くといいよなあ。
「あわになる」
設定がいい。
「日傘のお兄さん」
これだけ中編で120ページぐらいの分量。主人公は14歳の女の子。あるとき、幼いときによく遊んでくれたお兄さんと再会する。が、その人はネット上ではロリコンの「日傘おとこ」として有名だった。それを知りつつも、女の子はお兄さんと旅に出る。周囲はネットでの悪評のため、誘拐としか思わない。ふたりの逃避行はネット上で中継されてしまう。運命やいかに、というお話。
『キッドナップ・ツアー』をより現代っぽくした感じかな。とても面白かった。著者がblogで書いている寝台列車の旅を読むと、よりいっそう楽しめる、かもしれない。
「猫のように」
素晴らしい中編を読んだあとに、この駄作はないだろう。

豊島ミホ著『檸檬のころ』(幻冬舎

書下ろしなのに、長編ではなく連作短編集。田舎における学校生活のあれこれを題材にしている。こちらも7編について、感想ひとことずつ書いておく。
タンポポのわたげみたいだね」
「『宮崎あおい』に似てるって、俺の周りなんかもう、騒いじゃって騒いじゃって」(p.26)
全編通して、「固有名詞の使いすぎじゃないか」「具体的な名前を出さずに描写するのがプロってもんだろ」なんて、最初は思ったけど、「誰々(という芸能人)に似てる」っていうのは、恋の話をするのに必要不可欠かな、と考え直した。
「金井商店の夏」
すっかり恋する乙女状態になった(実際、恋をするような素敵な高校生活ではなかったので、それくらいしか浮かれることがなかったんだろう)(p.64)
カッコ付けで説明加えるのが好きなのか、単に文章に埋め込む力がないのか。
「ルパンとレモン」
堀北真希って子で、それがまた秋元さんに激--」(p.94)
芸能人の名前を出して、読者を試しているのかな。
「ジュリエット・スター」
結末がいい。そこに至るまでの書き込みがとても丁寧。
「ラブソング」
ほかの6編が30ページ前後なのに対して、これだけが倍の60ページほどの分量。くるりピロウズ、グレイバイン…ってのは、著者の好みなのかな。
くるりの「東京」は最終話で、重要なアイテムとして使われている。この曲聴いたことなかったので、試聴してみたけど、ひたすらたたみかけてくるのがいいな。
「担任稼業」
先生と生徒をわかり合わせないあたりに、著者が若手の作家だと感じる。
「雪の降る町、春に散る花」
このラストを書きたいがための、ほか6編だったんだろうなと思わせる。
「あとがき」
ないほうがよかった。というのは、くだらない小説ほど、作者自身が文章にこめた意味を語りたくなる傾向があると、私は思っているから。